ヒノキの森の案内人のページ

『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

 🕊 広島の原爆の日について思うこと

📒広島市長の「平和宣言」に、被爆者たちの意向は反映されたのか?

 松井市長は、岸田首相が〝成果〟として押し出す・広島G7サミットにおける「広島ビジョン」の「核抑止」論を否定し、「核抑止論は破綻している」と「批判」した、とマスコミはこぞって宣伝しました。
 しかし、マスコミやジャーナリストが盛んに「広島ビジョン」への批判だ! と言っている松井市長の「核抑止」論への「核抑止論は破綻している」という発言内容は、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば」、つまり、「実際に(核兵器を)使うと言っている為政者がいる」のに、「核抑止」論は何の意味も持たないという=「破綻している」。そんなものに、なぜ頼るのか、ということです。それは、しかし、核兵器保有と核抑止力を正当化した「広島ビジョン」の内容そのものへの批判ではありません。なぜならば、〝核兵器廃絶〟についての言及がないからです。
 彼の日本政府に言いたいことは、「一刻も早く核兵器禁止条約の締結国となり、核兵器廃絶に向けた議論の共通基盤の形成に尽力するために、まずは本年11月に開催される第2回締約国会議にオブザーバー参加していただきたい」、ということです。
 「広島ビジョン」の前文では、「全ての者にとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現」ということが言われています。この「広島ビジョン」でいわれている究極の目標である「核兵器のない世界」は、「安全が損なわれない」ために核兵器を持つのだ、と言っているのです。まったく矛盾したことを言っている、とわたしは思います。被爆者団体や市民団体は、「広島ビジョン」が「核抑止」を前提とした安全保障政策が示されていることへの反発として、松井市長に「核抑止を明確に否定してほしい」、と要請したのだと思います。わたしは、被爆者団体や市民団体の意向は「平和宣言」に反映されてはいない、と思っているのです。広島G7サミットにおける「広島ビジョン」は、アメリカによる原子爆弾投下による被爆地の広島から、核兵器を「絶対悪」から「必要悪」である、と訴えているのです。とくに、被爆者団体は、このことが許せないはずなのですが、松井市長の「平和宣言」に対して、「今回はそれなりに言っていると思う」(広島県被団協・佐久間理事長)と一定の評価を示していることが、残念です。
関連ブログ「📋 G7広島サミットの欺瞞 その1」

 

📋平和教育」の成果といえる、小学生代表の「平和の誓い」
 かつての子ども代表は、「どうして人間は、このような恐ろしいものをつくったのでしょうか…。一瞬の内に何もかも奪い去ってしまった原子爆弾を、そして戦争を、私たちは絶対に許すことはできません。」(1998年)、と原爆を投下した者への怒りをぶつけていたものです。被爆者たちから体験談を聞いたり、平和記念資料館で遺品をじかに見たり、「平和ノート」の学習をつうじて原子爆弾の恐ろしさを追体験することにより、核兵器の廃絶のために、二度と使ってはダメなのだということを、自分たちの怒りをバネにして、多くの人に伝えていくことを誓っていたものでした。それは、大人たちの心をも揺さぶりました。
 今年の代表の「平和の誓い」は、どうだったでしょうか?
 核兵器に対する抵抗感や怒り、廃絶への意志がすっかり薄れているように思います。「被爆者の思いを自分事として受け止め」と言っていますが、それがいったいなんなのかが、このふたりの児童の〝自分のことば〟から伝わってこないのです。指導教師がこの子たちに、どのような指導を行ったのかは、市教育委員会による「ひろしま平和ノート」(以下、「平和ノート」)の改訂の事実をみれば容易に想像ができます。
 広島市教育委員会は、今年度から平和教育の教材である「平和ノート」から
はだしのゲン』と『第五福竜丸』の記述を削除しました。これまでの広島市平和教育の中心は〝核兵器廃絶〟を目標にしていましたが、その目標を捨てたのでしょうか? 市教育委員会は、「ヒロシマの心を引き継ぐ」といっていますが、それはいったいなんだったのでしょうか?

関連ブログ「📋 G7広島サミットの欺瞞 その2」


 「平和ノート」の改訂は、小・中・高の12年間をかけて、頭の柔らかな子どもたちを核抑止力の正当化の方向に変えていくためのプロジェクトの一貫である、と思います。それは、〝核兵器廃絶〟の運動を否定し、根絶させようという目論見をもっている、といえます。
 広島市平和教育の負の成果が、今回の子ども代表の「平和の誓い」によく表れている、と思います。
 そして、G7広島サミットを前にして行われた「平和ノート」の改訂は、広島市教育委員会が独断で行ったことではなく、まさに松井市長の認可のもとに行われたのだ、ということを忘れてはならないと思います。

 

【追 記】
 2023年8月4日、NHKイカル研究室が反戦平和の詩画人・四國五郎さんのことを紹介していました。わたしは、ここで初めて四國五郎さんのことを知りました。
 Web上の記載内容によると、四國五郎さんは、天才的な画才を持っていましたが、貧しく、美術学校には行けなかったので、絵は独学で勉強しました。1944年、20歳で徴兵され、満州に送られ、その後、シベリアへ抑留されます。五郎さんは、満州時代からシベリア抑留時代のことをメモに残し、見つからないように隠して、1948年、日本に帰国時に持ち帰りました。帰国後、五郎さんは、もし自分が生きて帰ったら、いっしょに絵を描こうと約束していた弟の直登さんを、被爆により亡くしました。
 光さんは、「弟の死によって、父は改めて、自分の「生き方」を決めたんだと思います。」と語っています。
 
 五郎さんの息子の光さんがケンカをして帰宅したときに、五郎さんは光さんに次のように言ったそうです。
  
 父は穏やかに言った。
 外でけんかをして、不機嫌な顔をした、小学生の私に対して。
 「世の中には、つまらない人間はいる。
 だけど、本当に悪い人間は、戦争を起こすヤツだ。
 戦争は、ほんの一握りの人間が起こす。
 そして、ものすごい数の人が不幸になる」

 わたしは、この五郎さんのことばを聞いて、〝そのとおりだ!〟と思いました。五郎さんの言う「ほんのひと握りの人間」とは、為政者や大資本家たちのことだと思います。不幸になる「ものすごい数の人」とは、まさに戦争に駆り出される兵士たちや労働者たち、そしてその家族たちのことだと思います。
 
 光さんは、「年齢を重ねた私は、このところ父のことばを思い出すようになった。きっと父は、何度も何度も繰り返して、私に伝えたのだろう。その意味が分かるようになったと感じたのは、ごく最近のことだが…」、と語ります。その息子の光さんは、『反戦平和の詩画人 四國五郎』という本を今年の5月に出版しています。
 ぜひとも読みたいと思います。そして、「戦争を起こす人間に対して本気で怒れ」という四國五郎さんの命がけのメッセージを、しっかりと受け止めたいと思います。
 わたしは、1990年制作の『影』という作品が好きです。「人影の石」といわれている旧住友銀行広島支店の玄関前の石段に、放射腺の閃光で一瞬にして蒸発してしまった人の跡が影のように染みついたその影に寄り添うように、防空頭巾を被り、布製の人形と一緒に座っている女の子の絵です。わたしは、現物を見たことはありませんが、この絵をwebで見て、何も言えなくなりました。ただただ、この絵はわたしの鳩尾に、ズンズンと入り込んできました。わたしが感じたことは、この女の子は、この世界から戦争が終わるまで、この「影」に寄り添っているのではないか、ということです。
 
 今、ロシアとウクライナそして欧米の為政者たちの戦争当事者およびその加担者たちに、わたしは、即刻戦争を止めよ! と言いたいです。