ヒノキの森の案内人のページ

『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

すべての原発を即時停止に!

 2024年3月11日、福島第一原発事故から13年目を迎え、第126回目の「追悼と東電抗議」集会が行われ、わたしも参加し、全ての原発の廃止への決意を固めました。

 

能登半島地震から、わたしたちは、何を学ぶべきか?
 今年の元日早々、午後4時10分ごろ、石川県能登半島を中心に最大震度7の大地震が起きてしまいました。わたしは、志賀原発は大丈夫か? とまず思いました。そして、珠洲市の被害の惨状を聞き、反対運動の力で珠洲原発の建設を阻止できて本当に良かったと思いました。原発地震が直撃していたら、ほとんどの人が犠牲になっていたことでしょう。

 

  本抗議行動に、能登現地で闘っている「志賀原発に反対する命のネットワーク」の藤岡彰弘さんが、被災して大変な中、連帯のスピーチを行うために駆けつけてくれました。
 開口一番、藤岡さんは、「〝天を恐れよ〝―― この言葉を東京電力に突きつけたくてやってきました」、と怒りを込めて叫びました。この〝天を恐れよ〝という言葉は、反対運動の先頭に立って闘っていた漁師の故川辺さんが、いつもこの言葉を書いた旗を掲げていたことを紹介してくれました。
 藤岡さんは、能登地震ではっきりしたことは、「住民は逃げられない!」ということだ、〝避難計画〝に書かれていないことについて次のように訴えていました。
【避難計画に書かれていないこと】
 ①避難には、必ず格差が生じる ⇒逃げられなかった人が出てくる。
 ②避難生活のことが書かれていない ⇒13年間、福島の人を見捨てている。
 ③「屋内退避」 ⇒今回の事故で、そんなことができないということが、はっきりした。「屋内退避」とは、そうさせる側の訓練である。「勝手に動くな!」「勝手に逃げるな」 ☞自衛隊が導入される。
 ④国や電力会社、規制委員会も責任を取らない ⇒真っ先に被曝するのは、現場の労働者と情報のない現地住民

 藤岡さんは、原発のある地域で、日々事故への不安を抱いて暮らしている住民たちの重い現実を示してくれたのだ、と思います。

 

⦿能登半島地震震源は、石川県珠洲市でした。そこは、1976年、関西電力・芦原義重会長が、珠洲市に、総計で1000万kWの大規模原発群を、北陸・中部両電力と共同で建設することを検討していると発表したところです。その後、関西電力が高屋地区、中部電力が寺家地区で、それぞれ100万kW級の原発2基を建設する計画に変更されました。
 しかし、地元住民たちが原発反対運動を粘り強く闘い、2003年にその計画を断念させたのです。
 今回の能登半島地震では、原発事故が起こったら、住民たちには逃げ場がないのだということが、誰の目にも現実的に明らかになりました。地面がパックリと口を開け、土砂崩れで道路が遮断され、住民たちは逃げるに逃げられません。そればかりか、救助したくてもヘリで駆けつけることもできないのです。海底が4メートルも隆起し、船で海に逃げることもできない状態です。地元住民は、陸海空の避難路を絶たれました。
そして、放射性物質を内部に取り込まない設備がある防護施設も機能を失いました。原発30キロ圏内の21施設のうち、町内の5施設が地震で損傷して防護できなくなったのです。そのひとつ、町立富来病院では、2階の一部分の防護施設で、放射性物質を除去した空気を送る装置が天井から落下し、給湯配管も壊れ、廊下は水浸しになったとのことです。病院側は建物を危険と判断し、入院患者72人全員を転院させました。
屋内退避では、空間放射線量の正確な把握が生命線となります。それは、屋外の危険度を把握し、実測値によって避難に切り替えるかを決めるからです。しかし、線量を測るモニタリングポストは、原発北側の最大18地点でデータが取れなくなり、複数の通信回線が途絶え、復旧に約1カ月を要しました。
 『原子力災害対策指針』が定める屋内退避の前提は、ことごとく崩れました。
今回、原発事故があったら、住民の避難計画などなんの意味も持たないということが、はっきりしました。「避難計画」など、そもそも作りようがなかったのです。
能登半島地震では、2011年の福島原発事故後に見直された避難と事故対策のあり方に致命的な問題が露呈しましたが、原子力規制委員会の山中委員長は『原子力災害対策指針』を巡り、「見直さないといけないとは考えていない」と述べています。まさに、「天を恐れよ!」に、唾する発言です。日本政府は、被曝から国民を守ることを放棄したばかりか、被曝を強要しているとしか思えません。
被災地の現実が無視されるほど悔しいことはありませんが、国が『指針』を見直さないのは、見直しをすれば、各自治体は実現可能な防災計画をつくれず、それでは原発を稼働できなくなるからではないでしょうか!
 わたしたちが、能登半島地震から学ぶべきことは、原発事故からの安全な避難など成り立たない、ということです。珠洲原発の建設を阻止できていて本当に良かった、ということです。そして、志賀原発柏崎刈羽原発が停止していて幸いだった、ということです。
 しかし、国や電力会社は、能登半島地震の惨状を見てもなお、原発の稼働に固執し、地元住民の命を軽んじ、できるだけ早くに再稼働をしたいと画策しています。まったく許せません。

 

福島第一原発事故から13年、責任を取らない国や東電
【避難生活を強いられる県民たち】
 今でも26,000人以上の福島県民が、避難生活を強いられています。政府は、帰宅困難区域のうち、住民の希望を基に除染範囲を定め(※特定帰還居住区域)、避難指示解除区域への移住を奨励しています。
 しかし、希望者の宅地や付近の道路を「除染」しても、病院もないし、生活できる保障はありませんし、政府が示す「特定帰還居住区域」は、〝点〝状態であり、「将来的に帰宅困難地域の全てを避難指示解除し復興再生に取り組む」という岸田首相の〝決意〝は、具体的には何も示さない事実上の〝ゼロ回答〝と言えます。政府が最優先に考えていることは、原発の再稼働であることがよくわかります。

【「ALPS処理水」という名の放射能汚染水の海洋放出】
 そもそもALPS(多核種除去設備)は、トリチウム炭素14などを取り除けません。政府は、2015年に「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」という福島県漁業協同組合連合会との約束を反故にし、マスコミや御用学者たちを使って、トリチウムの安全性ばかりを強調し、他の放射性物質の危険性を隠蔽し、多くの反対を押し切って、昨年8月から、太平洋への放流を開始しました。(※〝汚染水〝については、わたしの昨年のブログを参照してください。)

【多発する小児甲状腺がんを隠す福島県
 福島県は、甲状腺がんについて、「悪性ないし悪性の疑い」と表現し、あたかも甲状腺がんではない子が含まれているかのように表現していましたが、実際は99%が小児甲状腺がんでした。
 手術で甲状腺がんが確定した福島の子供達は166人、甲状腺がん疑いも含めると207人(良性結節1人含む)でした(2018年9月30日時点)。集計漏れを理由にして実数値を隠蔽したのは、原発事故との因果関係を伏せたい・政府の意向に従った福島県立医科大学でした。
 その後、政府や東電、御用学者たちが「原発事故による被曝量は小さく、甲状腺がんとは無関係」というキャンペーンを流布しました。
 福島第一原発事故当時被爆し、甲状腺がんの摘出手術を受けた7人が、東電を相手に、損害賠償を求める訴訟を起こしました。
 東電は「専門家による知見」であるとして、「甲状腺等価線量100ミリシーベルト以下である場合、甲状腺がんを含む発がんリスクが増加することは確認されていない」などと主張しています。
 これに対して「311子ども甲状腺がん裁判」原告弁護団長の井戸謙一弁護士は、チェルノブイリ原発事故後の研究調査を基にしたミコラ・トロンコ・ウクライナ医学アカデミー内分泌代謝研究所所長による研究結果に着目しました。甲状腺等価線量50ミリシーベルトどころか、10ミリシーベルト以下の子どもからも多くの甲状腺がんの発症が確認されているとする、同氏の論文を証拠として提出しています。

 

⦿⦿⦿能登半島地震は、自然からの最期の警告だと思います。全ての原発は、すぐに停止すべきです。そのことを一番に、今回の大地震はわたしたちにせっついているのです。
 しかし、政府と東電、原発関連企業は、CO2削減を盾に、原発の稼働期間の延長および再稼働、小型原子炉の開発を進めています。
だからこそ、わたしたちは、「3.11をわすれない!」原発反対の運動をさらに、諦めずに、連帯し、広めていかなければならないのだ、と思います。