ヒノキの森の案内人のページ

『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

📋 G7広島サミットの欺瞞 その4

📒ゼレンスキー大統領が何度も使ったことば――「人影の石」
 ゼレンスキー大統領は5月21日、訪日最後のスピーチの中で、「人影の石」という言葉をこれでもかとばかりに使い、日本国民に訴えました。以下、ウクライナ大統領府広報室の日本語訳文から引用します。

 👉「私は、戦争によって歴史の石に影のみを残すことになってしまったかもしれない国からここへ来た(編集注:ロシアの全面侵略戦争ウクライナが消し去られてしまう可能性を指している)。しかし、私たちの英雄的な人々は、私たちが戦争をこそそのような影にしてしまうべく、歴史を戻している。」 

 👉「もし私たちがこれほどまでに勇敢でなければ、ロシアの私たちに対するジェノサイドは成功してしまっていたかもしれない。ウクライナは影だけになってしまっていたかもしれない。全ての人々が、影だけに!」


 👉「戦争からは影のみが歴史の石に残るよう、それが見られるのが記念館だけとなるようにするためには、世界の誰もが、あらゆる可能なことをしなければならない。」
 

 このゼレンスキー大統領のスピーチは、「広島平和記念資料館」を視察した直後(90分後)に行われたものです。78年前に、アメリカが広島に原子爆弾を投下しました。小型の太陽ともいえる火球は、4000℃もの高熱と爆風でもって、数多の人々を一瞬にして肉片も残さず消滅させてしまいました。その中で、強烈な熱線と爆風圧によって、石の表面が白っぽくなり、その人が座っていたところだけが黒くなって残ったもの――それが、「人影の石」と呼ばれている旧住友銀行広島支店の入口の石段のことです。1971年の改築の際に、石段は一部が切り取られ、「広島平和記念資料館」に寄贈されたのです。この石段は、〝物言わぬ証人〟として、アメリカの原爆投下による被害の恐怖を後世に知らしめるべく、常設展示されています。


 なぜ、長々と「人影の石」の説明をしたのかというと、ゼレンスキー大統領のスピーチからは、〝物言わぬ証人〟に対する感情が伝わってこないからです。「あっ!」「熱い!」とのひと言もいえず、アメリカの投下した原爆の犠牲になった人の悔しい気持ち、その声を聴き取ろうとしていないからです。つまり、ゼレンスキー大統領は、この「人影の石」から、原子爆弾の残虐性を、何ひとつ受け止めていないということです。
 しかも、ゼレンスキー大統領が見たのは日本経済新聞によれば「人影の石」の写真だそうです。まぁ、彼が見たものが実物か写真かは問わないとしても、あらかじめ用意されていたのであろうと思われるスピーチからは、彼の得意な「日本人の心に刺さる言葉」が選択されたのであろうことがうかがわれます。
 しかし、残念なことに、ほとんどの報道は、このゼレンスキー大統領のスピーチを絶賛しています。わたしが気付いたところでは、毎日新聞の「土記」の執筆者が、5月27日付けで、「ゼレンスキー氏が、『人影の石』を引いて自国の戦禍を広島になぞらえ涙したと聞けば、分かっていないじゃないかと呼び止めたくなる。」と記していましたが、まことにわたしも同じ思いです。
 
📒ゼレンスキー大統領が参加した意味
 さて、ゼレンスキー大統領が、自らG7に乗り込んだ理由は、大きくふたつあります。
①ロシアとの戦争の反転攻勢にでるために、G7に軍事支援の強化を要求すること
②「グローバル・サウス」にウクライナの立場を理解してもらうこと

 ①については、アメリカ製戦闘機F16のウクライナへの供与の容認をバイデン大統領からとりつけ、サミット首脳宣言も「ロシアの違法な侵略戦争に直面する中で、必要とされる限りウクライナを支援」と冒頭でうたい、戦争継続を確認しました。
 ゼレンスキー大統領の登場により、一連の被爆者追悼セレモニーなど二の次であり、G7の主題はウクライナへの軍事支援の協議であることが明確になりました。そして、多大な軍事支援の確約を取り付けたことにより、G7がウクライナの背中を押していることが、世界に明らかになりました。
 一方、②の「グローバル・サウス」との関係は、どうだったでしょうか。
 ☘ウクライナへの支援を求めたゼレンスキー大統領に対して、インドのモディ首相は、「紛争解決に向け可能なことは何でもする」と答えました。同時に、「対話と外交が唯一の解決策」と述べ、G7とは一線を画し、あくまで和平の仲介に寄与するという立場で、政治解決の必要性を繰り返していました。
 ☘さて、会談を予定していたブラジルのルラ大統領でしたが、ゼレンスキー大統領が約束の時間にあらわれなかった、とのことです。ブラジルは、ロシアの侵略行為を非難する一方で、ロシアに対する制裁には反対しています。ルラ大統領は、ウクライナへの武器支援についても「戦争を長引かせる」として、反対の態度を示しています。領土回復を和平の条件に含むゼレンスキー大統領の立場とは距離があります。ロシアとウクライナの和平協議を仲介する多国間の枠組み作りをめざすルラ大統領は、G7拡大会合で、暗にG7を批判した形になりました。そのことで、ゼレンスキー大統領との会談が実現しなかったのではないでしょうか。
 ☘東南アジア諸国連合ASEAN)議長国のインンドネシアは、大国に翻弄されてきた苦い歴史もあり、アメリカ・中国・ロシアとは適度な距離をおいて、バランス外交をとってきました。ジョコ大統領は、G7サミットの拡大会合で「世界に必要なのは二極化ではなく、団結だ」と強調しました。

 

 上記モディ首相、ルナ大統領、ジョコ大統領の反応を見る限り、ゼレンスキー大統領の新興・開発途上国ウクライナの立場を理解させるという目的は達成できなかった、というのは当然のことだと思います。
 東南アジアやアフリカなどのほぼ全域は、19世紀以後、欧米列強の植民地となりました。東南アジアでは、住民たちは、強制栽培制度のもとで自分たちの主食の米の生産を止められて、欧州向け輸出品であるサトウキビやコーヒーなどを強制的に栽培させられていました。住民たちが手にした低賃金は、その大部分が税金として支配国に持っていかれました。
 そして、特に西アフリカの各地からは、プランテーションの働き手としての黒人たちが奴隷貿易の対象とされていました。この黒人たちに対しては、今日でも、アメリカ国内でその子孫たちが、いわれのない差別や時には死にもつながる虐待が続いています。「グローバル・サウス」と呼ばれる国々は、多くが欧米に虐げられた歴史を背負っているのです。故に、ゼレンスキーの思惑通りに事が運ばないのは、しごく当然のことなのです。


 ロシアとウクライナの戦争は、20世紀の帝国主義侵略戦争と同質のものではないか、とわたしは思います。だからこそ、わたしたちは、戦争の根源を断ち切るための闘いをつくりださねばならないのだと思うのです。