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『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

📋G7広島サミットの欺瞞 その2

📒ひろしま平和ノート」から『はだしのゲン』と『第五福竜丸』を削除!
 広島市教育委員会は、2023年度から市内の全小・中学校、高校の平和教育プログラムで使用する教材の「ひろしま平和ノート」から、漫画『はだしのゲン』(小学3年生向け)の一部引用と、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で被爆した『第五福竜丸』(中学3年生向け)の記述を削除、高校生用では『はだしのゲン』の作者である中沢啓治さんの被爆体験の講演内容の記述を半減する改訂を行いました。
 これまでの広島市平和教育の中心は〝核兵器廃絶〟を目標にしていましたが、その目標を捨てたのでしょうか? 
 市教育委員会は、全項目の7割を見直し、ヒロシマの「継承と発信を重視した」としています。改訂の理由について、同市教育委員会指導第一課は「旧教材は発信の学習が弱いという課題があり充実させた。被爆者が高齢化し、社会情勢が変化する中、ヒロシマの心を引き継ぐ重要性は増している。新たな教材で平和について自分で考え、行動できる人材を育てたい」、と説明しています。
 市教育委員会は、「ヒロシマの心を引き継ぐ」といっていますが、それはいったいなんだったのでしょうか?

 

📒どのように差し替えられたのか?
「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」のブログや河野美代子さんのブログを参考にして、差し替えられた教材のなかで特に主要なものについて考えてみようと思います。
小学校
【改訂前】改訂前の小学3年生用の教材は、漫画『はだしのゲン』から一部引用していました。「戦争のあったころの広島」がテーマで、そのうちの「学習2 家族のきずな」と「学習3 引きさかれる家族」の部分に、合計6ページも使用されています。
 「学習2 家族のきずな」(原爆投下まえ)では、漫画の横のコメントに、「兵たいさんにしっかり米を食べてもらって、せんそうに勝つために、ゲンたちは米ひとつぶたりとも自由には食べられなかった。」とあります。そして、「学習2 家族のきずな」では、一部の人たちの間で問題にされた、ゲンが弟とがお腹に赤ちゃんのいる母ちゃんにおいしいものを食べて元気になってもらいたくて「ろう曲」のまねごとをしてかせいだお金を家に入れたり、「コイを食べると元気になる」と聞くと、近所の庭にしのびこみ、こっそり池でコイを釣ったことが書かれています。実に、必死で生きてきた、戦争中の我慢を強いられた庶民の生活が生き生きとかかれている、とわたしは思います。
 「学習3 引きさかれる家族」では、原爆投下直後、家の下敷きになった父ちゃん、ねえちゃん、弟の進次を、母ちゃんといっしょに助け出そうとしたがかなわなかったゲンが、父ちゃんに「母さんをつれてにげろ」と言われた、そのゲンの胸中を抉り出すかのような描写で書かれています。ここのコメントは、「せんそうさえなかったら…。今も家族なかよく、わらってくらしていただろう。」、と最後をつづっています。
【改訂後】改訂後は、「学習2 家族のきずな」が、絵本『いわたくんちのおばあちゃん』の内容に差し替えられました。ここでは、小学4年生の岩田君のおばあさんの被爆体験が語られます。河野美代子さんの紹介によると、次のようになっています。
 「一人ぼっちになったちづ子さん」とタイトルがつけられ、おばあさん(ちづ子さん)が、働いていた缶詰工場で被爆したことが書かれています。ちづ子さんはがれきのしたじきになりましたが、何とか抜け出しまし、少しの間親戚の家ですごしました。火の手が落ち着いてから、家族をさがしに行き、町は焼け、全てがなくなって、家に着いたら、亡くなった家族のすがたを見つけた、ということが書いてあるそうです。この後は、「せんそうが終わり、ちづ子さんは、お茶屋さんを立て直し、新しい生活をスタートさせました。」と続くだけだそうです。
 原作の『いわたくんちのおばあちゃん』には、もっといろいろリアルな被曝の現実の描写やちづ子さんの気持ちが書かれていましたが、これだけだそうです。上記のような絵本のあらすじだけのようなものの紹介で済まされてしまっています。

 

🖋河野美代子さんは、「ちづ子さんの被爆体験は、こんなものではないはず」、「工場で下敷きになったちづ子さんたちのさけび声も、真っ赤な火の手から振り返りながら逃げた姿も、全身やけどやガラスがささったりの大けがをした大勢の人たちの姿も、がれきと一緒に転がっている沢山の死体も、そして何より家族の死体を見つけた時のこと」が原作では、書かれていた、と河野美代子さんは怒りを込めていっています。そして、「死体を見つけた時のこと」の描写を、次のように紹介しています。少し長くなりますが、紹介します。


 「やがてあらわれたのは、こげた体が二体。この大きいのは、お父さん? そばの小さいのは・・ひろちゃん?。焼けてしまった体。その大きさではんだんするしかありません。見覚えのあるタイルがわずかに焼け残っていました。
 間違いない、ここはうちの台所。そこにうずくまるようにしてなくなっていたのはお母さんと末っ子のきみちゃんでした。あのしゅんかんお母さんはとっさに小さなわが子をそのむねにかばったのでしょう。強く強く抱きしめたのでしょう。
 二人のむねが合わさったところだけ、ほんの少しだけ洋服のぬのが焼け残っていたのです。これはお母さんが着ていたブラウス、これはきみちゃんが着ていたワンピースの花もよう。
 ちづこさんは泣きました。小さな二まいの布の切れはしをにぎりしめずっとずっと泣き続けました。」
 わたしは、この絵本は素晴らしい作品だと思います。涙が止まりませんでした。

 

 🖋市教育委員会は、『はだしのゲン』を「漫画なので、被爆の実態が伝わりにくいので、16歳で被爆し、両親と妹を亡くした女性の生涯を、娘が語った内容」に差し替えたといいます。
しかし、差し替えられた『いわたくんちのおばあちゃん』の「一人ぼっちになったちづ子さん」のページから、「被爆の実態」は伝わるのでしょうか? 伝わらないと、わたしは思います。なぜなら、「ひろしま平和ノート」には、被爆した主人公のちづ子さんの見た生々しい現実や、ちづ子さんの気持ちの揺れ動きなどが、つまり被爆者の実体験が意図的に削除されているからです。
 市教育委員会が考えている「被爆の実態」とは、アメリカが投下した原爆の下で文字やことばにできないほどの悲惨な、人が虫けらのように殺されていく現実があり、それが今も続いていること―― 被爆の後遺症で苦しんだり、被爆者が差別されたり…… ――を包み隠そうとしているとしか思えません。改訂された「ひろしま平和ノート」を学習した子どもたちが成長していく過程で、〝核兵器廃絶〟の考えを持ち、戦争を無くしていくにはどうしたらよいのかを模索していくとはどうしても思えないのです。現実に、今も続く原爆の恐ろしさについて、差し替えられた教材は、何も語っていないからだと思います。『はだしのゲン』は、作者の実体験をもとにして、漫画という手段で、傷口からうじ虫がはい出すような戦争のリアルを語っていたと思います。
「いつの世でも、ひとにぎりの権力者のために、戦争で死んでいくのは名もない弱い国民だ……!」と、被爆でドロドロに溶けた皮膚を垂れ下がらせたままどうしようもなく「水をくれ―」と叫ぶ黒焦げの人たちを描いた場面で、コメントしています。この場面は、改定前の「ひろしま平和ノート」にはありませんでしたが……。

中学校
【改訂前】改訂前の中学3年生用の教材は、1954年に、マーシャル諸島ニキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆したマグロ漁船『第五福竜丸』の乗組員23人全員が被曝したことについての記述でした。核兵器をめぐる世界の現状をテーマとする章の冒頭に記載があったそうです。被ばくから半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんが残した「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉もありました。市教育委員会は、有識者から「被ばくの実相を確実に継承する内容になっていない」という指摘があったため、削除したのだとしています。
【改訂後】差し替えられたのは、美甘章子(みかもあきこ)さんの著書『8時15分~ヒロシマで生きぬいて許す心』(以下、『8時15分』)という父から聞いた被爆体験を含む戦争体験をつづったものですが、その本からの引用をQ&Aのかたちに書き換えて、教材にしているそうです。恣意的にそのようにしたことがみてとれます。
Q父の美甘進示さんからの教え
A「戦争ではどの国もひどいことをしていたし、日本も例外ではない。アメリカが悪いのではなく戦争が悪いのであって、立場の違う人たちのことを理解しようとしない、もしくは自分の利益追求に走ってしまう人間の弱さが戦争につながる。どちらが悪いという考え方は全く意味がない」とたびたび説かれ、橋渡しをする人間になるようにと育てられました。

 

 🖋原爆を投下したアメリカやアメリカ人を憎まずに、まずは許そう!とQ&A形式で生徒たちに教えることは、〝答え〟を覚えこむように彼らに指導する、ということではないでしょうか。さらに、「まずは許そう!」ということを教え込むことによって、戦争とはいかに悲惨なものなのか! 戦争がなぜ起きたのか? なぜ、アメリカは原水爆を日本に投下したのか? を問わない子どもたちをつくってしまうのではないでしょうか。人類を滅亡に導くほどの大量殺りく兵器である原水爆の実相を知らせなくては、核廃絶への意識はつくられません。原水爆禁止運動のきっかけとなった『第五福竜丸』の記述を削除するということは、この運動を否定する、ということです。
アメリカの水爆実験で23人が被爆させられた『第五福竜丸』の記述を削除して市教育委員会が推し進めたかった「平和教育」とは、「許す」ことをもって、原水爆の本当の実相を問わないで、仲良くしていこう、と世界に「発信」するということがよくわかりました。

高等学校
【改訂前】高校1年生用は、『はだしのゲン』の作者・中沢さんの講演記録を紹介していました。ここは、どのようなことが書かれているのかの資料がみつからなかったので、推測で書きます。講演の内容には、中沢さんがなぜ『はだしのゲン』を描こうとおもったのかの記述があったのではないか、と思っています。ゲンが母を荼毘に付した後にお骨を拾おうとしたときに、骨が砂のようになって拾うことができないシーンがあります。その時の原爆投下者へのゲンの怒りは、中沢さんの怒りそのものであり、『はだしのゲン』を描くきっかけだった、そのことは講演で話が出たのではないか、と思われます。
【改訂後】高校1年では、この『8時15分』が教材に使われるとともに、美甘さんが父の体験を受け継ぎ、実話に基づく映画をつくって世界に発信した意義を考える内容にしたそうです。『はだしのゲン』の作者・中沢さんの講演記録を紹介する箇所は、従来から半減されました。

「平和ノート」には教材になってはいませんが、『8時15分』のあとがきでは、「あの戦争で敵同士であった二つの国が、今は最強のパートナーとしての協力体制により、平和と協調が確立されたことを世界の人々に語りかけたい」と述べられているそうです。
はたして、そういえるのでしょうか? 逆に、日米軍事同盟のもとで、東南アジアにおけるあらたな戦争の危機を醸成している一方になっているだけではないでしょうか?
教育委員会は、この美甘さんの主張を「平和ノート」の重要な締めのことばとして位置付けているように思えます。
このようなことを生徒たちに「平和教育」として教え込むことは、核の傘日米安保体制の肯定および核抑止論正当化を生徒に「正解」として叩き込む、ということではないでしょうか。市教育委員会のいう「平和」とは、パワーバランスによる戦争のない状態であり、それは背中に核兵器を隠し、にこやかに握手をして均衡を保つ状態である、と言えます。
今回の「平和ノート」の改訂は、小・中・高の12年間をかけて、頭の柔らかな子どもたちを核抑止力の正当化の方向に変えていくためのプロジェクトの一貫である、と思います。それは、〝核兵器廃絶〟の運動を否定し、根絶させようという目論見をもっている、といえます。

 

📒「平和ノート」改訂の政治的背景
 さて、この改訂問題の背後にあることについて、考えてみます。
この改訂は、岸田政権による「軍拡(安保)3文書」の閣議決定(12月16日)直後、そして「G7 広島サミット」の直前に決定・発表されたことには象徴的な意味があると思います。昨年12月16日、敵の弾道ミサイル攻撃に対処するために、発射基地などをたたく「反撃能力」の保有が明記された「安全保障3文書」が閣議決定されました。これは、改憲をせずに、実質的に安全保障の大転換を行った、ということです。
 そして、岸田首相が成果を強調している5月19日の「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」には、「核兵器は、それが存在する限り、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争と威圧を防止する」と、核兵器の抑止力を正当化する内容が盛り込まれました。この文言は、2022年1月に核保有アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの5大各保有国が出した共同声明の根幹部分がそのまま盛り込まれています。ただ、「威圧(coercion)」というロシア、中国などを念頭においたことばが1語加入されただけです。
 つまり、「核軍縮に関する」といってはいますが、「広島ビジョン」には、核大国の核保有の論理がそのまま受け継がれ核兵器を認め、その抑止力を正当化するものになっているのです。日本は、G7広島サミットのホスト国です。上記理論にふさわしい人間を育てるために、広島の「平和教育」は変えられたということだと思います。
わたしは、このことに抗するべく、若い人たちに、戦争を根底からなくすということ、および〝核廃絶〟を訴えていく必要がある、と思います。