ヒノキの森の案内人のページ

『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

すべての原発を即時停止に!

 2024年3月11日、福島第一原発事故から13年目を迎え、第126回目の「追悼と東電抗議」集会が行われ、わたしも参加し、全ての原発の廃止への決意を固めました。

 

能登半島地震から、わたしたちは、何を学ぶべきか?
 今年の元日早々、午後4時10分ごろ、石川県能登半島を中心に最大震度7の大地震が起きてしまいました。わたしは、志賀原発は大丈夫か? とまず思いました。そして、珠洲市の被害の惨状を聞き、反対運動の力で珠洲原発の建設を阻止できて本当に良かったと思いました。原発地震が直撃していたら、ほとんどの人が犠牲になっていたことでしょう。

 

  本抗議行動に、能登現地で闘っている「志賀原発に反対する命のネットワーク」の藤岡彰弘さんが、被災して大変な中、連帯のスピーチを行うために駆けつけてくれました。
 開口一番、藤岡さんは、「〝天を恐れよ〝―― この言葉を東京電力に突きつけたくてやってきました」、と怒りを込めて叫びました。この〝天を恐れよ〝という言葉は、反対運動の先頭に立って闘っていた漁師の故川辺さんが、いつもこの言葉を書いた旗を掲げていたことを紹介してくれました。
 藤岡さんは、能登地震ではっきりしたことは、「住民は逃げられない!」ということだ、〝避難計画〝に書かれていないことについて次のように訴えていました。
【避難計画に書かれていないこと】
 ①避難には、必ず格差が生じる ⇒逃げられなかった人が出てくる。
 ②避難生活のことが書かれていない ⇒13年間、福島の人を見捨てている。
 ③「屋内退避」 ⇒今回の事故で、そんなことができないということが、はっきりした。「屋内退避」とは、そうさせる側の訓練である。「勝手に動くな!」「勝手に逃げるな」 ☞自衛隊が導入される。
 ④国や電力会社、規制委員会も責任を取らない ⇒真っ先に被曝するのは、現場の労働者と情報のない現地住民

 藤岡さんは、原発のある地域で、日々事故への不安を抱いて暮らしている住民たちの重い現実を示してくれたのだ、と思います。

 

⦿能登半島地震震源は、石川県珠洲市でした。そこは、1976年、関西電力・芦原義重会長が、珠洲市に、総計で1000万kWの大規模原発群を、北陸・中部両電力と共同で建設することを検討していると発表したところです。その後、関西電力が高屋地区、中部電力が寺家地区で、それぞれ100万kW級の原発2基を建設する計画に変更されました。
 しかし、地元住民たちが原発反対運動を粘り強く闘い、2003年にその計画を断念させたのです。
 今回の能登半島地震では、原発事故が起こったら、住民たちには逃げ場がないのだということが、誰の目にも現実的に明らかになりました。地面がパックリと口を開け、土砂崩れで道路が遮断され、住民たちは逃げるに逃げられません。そればかりか、救助したくてもヘリで駆けつけることもできないのです。海底が4メートルも隆起し、船で海に逃げることもできない状態です。地元住民は、陸海空の避難路を絶たれました。
そして、放射性物質を内部に取り込まない設備がある防護施設も機能を失いました。原発30キロ圏内の21施設のうち、町内の5施設が地震で損傷して防護できなくなったのです。そのひとつ、町立富来病院では、2階の一部分の防護施設で、放射性物質を除去した空気を送る装置が天井から落下し、給湯配管も壊れ、廊下は水浸しになったとのことです。病院側は建物を危険と判断し、入院患者72人全員を転院させました。
屋内退避では、空間放射線量の正確な把握が生命線となります。それは、屋外の危険度を把握し、実測値によって避難に切り替えるかを決めるからです。しかし、線量を測るモニタリングポストは、原発北側の最大18地点でデータが取れなくなり、複数の通信回線が途絶え、復旧に約1カ月を要しました。
 『原子力災害対策指針』が定める屋内退避の前提は、ことごとく崩れました。
今回、原発事故があったら、住民の避難計画などなんの意味も持たないということが、はっきりしました。「避難計画」など、そもそも作りようがなかったのです。
能登半島地震では、2011年の福島原発事故後に見直された避難と事故対策のあり方に致命的な問題が露呈しましたが、原子力規制委員会の山中委員長は『原子力災害対策指針』を巡り、「見直さないといけないとは考えていない」と述べています。まさに、「天を恐れよ!」に、唾する発言です。日本政府は、被曝から国民を守ることを放棄したばかりか、被曝を強要しているとしか思えません。
被災地の現実が無視されるほど悔しいことはありませんが、国が『指針』を見直さないのは、見直しをすれば、各自治体は実現可能な防災計画をつくれず、それでは原発を稼働できなくなるからではないでしょうか!
 わたしたちが、能登半島地震から学ぶべきことは、原発事故からの安全な避難など成り立たない、ということです。珠洲原発の建設を阻止できていて本当に良かった、ということです。そして、志賀原発柏崎刈羽原発が停止していて幸いだった、ということです。
 しかし、国や電力会社は、能登半島地震の惨状を見てもなお、原発の稼働に固執し、地元住民の命を軽んじ、できるだけ早くに再稼働をしたいと画策しています。まったく許せません。

 

福島第一原発事故から13年、責任を取らない国や東電
【避難生活を強いられる県民たち】
 今でも26,000人以上の福島県民が、避難生活を強いられています。政府は、帰宅困難区域のうち、住民の希望を基に除染範囲を定め(※特定帰還居住区域)、避難指示解除区域への移住を奨励しています。
 しかし、希望者の宅地や付近の道路を「除染」しても、病院もないし、生活できる保障はありませんし、政府が示す「特定帰還居住区域」は、〝点〝状態であり、「将来的に帰宅困難地域の全てを避難指示解除し復興再生に取り組む」という岸田首相の〝決意〝は、具体的には何も示さない事実上の〝ゼロ回答〝と言えます。政府が最優先に考えていることは、原発の再稼働であることがよくわかります。

【「ALPS処理水」という名の放射能汚染水の海洋放出】
 そもそもALPS(多核種除去設備)は、トリチウム炭素14などを取り除けません。政府は、2015年に「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」という福島県漁業協同組合連合会との約束を反故にし、マスコミや御用学者たちを使って、トリチウムの安全性ばかりを強調し、他の放射性物質の危険性を隠蔽し、多くの反対を押し切って、昨年8月から、太平洋への放流を開始しました。(※〝汚染水〝については、わたしの昨年のブログを参照してください。)

【多発する小児甲状腺がんを隠す福島県
 福島県は、甲状腺がんについて、「悪性ないし悪性の疑い」と表現し、あたかも甲状腺がんではない子が含まれているかのように表現していましたが、実際は99%が小児甲状腺がんでした。
 手術で甲状腺がんが確定した福島の子供達は166人、甲状腺がん疑いも含めると207人(良性結節1人含む)でした(2018年9月30日時点)。集計漏れを理由にして実数値を隠蔽したのは、原発事故との因果関係を伏せたい・政府の意向に従った福島県立医科大学でした。
 その後、政府や東電、御用学者たちが「原発事故による被曝量は小さく、甲状腺がんとは無関係」というキャンペーンを流布しました。
 福島第一原発事故当時被爆し、甲状腺がんの摘出手術を受けた7人が、東電を相手に、損害賠償を求める訴訟を起こしました。
 東電は「専門家による知見」であるとして、「甲状腺等価線量100ミリシーベルト以下である場合、甲状腺がんを含む発がんリスクが増加することは確認されていない」などと主張しています。
 これに対して「311子ども甲状腺がん裁判」原告弁護団長の井戸謙一弁護士は、チェルノブイリ原発事故後の研究調査を基にしたミコラ・トロンコ・ウクライナ医学アカデミー内分泌代謝研究所所長による研究結果に着目しました。甲状腺等価線量50ミリシーベルトどころか、10ミリシーベルト以下の子どもからも多くの甲状腺がんの発症が確認されているとする、同氏の論文を証拠として提出しています。

 

⦿⦿⦿能登半島地震は、自然からの最期の警告だと思います。全ての原発は、すぐに停止すべきです。そのことを一番に、今回の大地震はわたしたちにせっついているのです。
 しかし、政府と東電、原発関連企業は、CO2削減を盾に、原発の稼働期間の延長および再稼働、小型原子炉の開発を進めています。
だからこそ、わたしたちは、「3.11をわすれない!」原発反対の運動をさらに、諦めずに、連帯し、広めていかなければならないのだ、と思います。

「労使自治」に魂を吸い取られた「連合」指導部

 


 「連合」指導部は、経団連の『労使自治を軸とした労働法制に関する提言』(以下、『提言』)に対して、翌1月17日に事務局長談話を発表しました。
 この談話で、清水事務局長は、「提言は、労働法制について、労働者の健康確保等にかかわる最低限のルールとし、細部は労使自治に委ねるなど時代にあった見直しが必要としている」とし、『提言』の特徴をよく捉えている、と思います。
 しかし、「労使自治の尊重という名の下に労働法制の規制緩和を行うことは許されるものではない」と、わけのわからないことを言っているのです。これはいったい、どういうことなのでしょうか?
 そもそも、経団連が『提言』を公表したのはなぜなのでしょうか。

経団連が『提言』を公表した理由
 日本の大企業で構成される経団連は、『提言』を公表した理由を次のように述べています。
「現在、労働者の価値観や働き方の多様化、人口減少による労働市場の人材獲 得競争の激化、DXの進展等による事業内容の変化等、企業と労働者は大きな 転換点におかれている。 こうした中、日本が高い産業競争力を維持し続けるためには、労働者の多様なニーズをくみ取り、労使双方にとってよりよい働き方を探ることが不可欠で ある。
しかし、現行の労働基準法は、画一的な規制であり、職場実態をよく知る労使が多様な働き方を実現していくことが難しくなっている。また、近年、労働法全般が詳細・複雑化しており、当事者である労使双方が正しく理解したり、活用したりすることの妨げになっていると言わざるを得ない。さらに、労働組合の組織率が低下していることもあり、自社にとっての望ましい職場環境のあり方を個別企業の労使が話し合い決定するという、日本企業の強みともいえる労使自治を発揮できる場面が縮小している。」
つまり、経団連は、現行の労働法制が最大のネックとなって、日本企業の産業競争力を維持し、高めることができなくなっている、と言いたいわけです。このことを解決するために、企業ごとに労働条件などを労使で納得ずくであるとし、雇った労働者は無期であろうが有期であろうが、資本家の思うがままに生産性向上に資してくれる―― そういう労使関係を保障する・「労働法制」に変えたいわけです。乾いた雑巾のような労働者をまだ絞れるだろうと、今でも労働者保護に関して不十分な労働法制であるにもかかわらず、労働者を守る部分を完全になくしたい、というわけです。とんでもないことです。許せません!

「労使自治」にしがみ付く「連合」指導部
 経団連の『提言』は、「労使自治を軸として」と表現しています。
 『提言』では、生産性の改善・向上にむけた「エンゲージメント向上のための」労使コミュニケーションを密にしていく―― そのために「労使自治を軸として」という表現を使っているのだ、と思います。

 ※「エンゲージメント」という概念は経団連の独特なもので、2023年版『経営労働政策特別委員会報告』では、「働き手にとって組織目標の達成と自らの成長の方向性が一致し、『働きがい』や『働きやすさ』を感じられる職場環境の中で、組織や仕事に主体的に貢献する意欲や姿勢を表す概念」、と整理されています。
 
 これを受けて「連合」事務局長は、「労使自治の尊重」と肯定しています。
「良好で安定的な労使関係の下、自社における様々な課題を共有しながら、働き手の成長につながる総合的な処遇改善・人材育成による『人への投資』促進のあり方などを含め、『経営のパートナー』である「連合」として」資本と労使協議をしていく、という意味で「労使自治の尊重」と言っているのです。つまり、「連合」指導部は、全面的に経団連に協力していく、と宣言しているわけです。

泣き言をいう「連合」指導部
 経団連は、「連合」の組織率が16%と低下しているのをみて〝使えない!〝 と判断し、80%以上の未組織労働者を、労働三法でまがりなりにも法的に保護されている労働組合ではなく、「労使協創協議制」に組織化しようと考えています。ある意味、産業報国会化には、「連合」は用をなさない、と経団連はみなしているのではないでしょうか。
 そのことを察知した「連合」指導部が、「労使自治」を持ち上げ、「尊重」するとし、〝お見捨てなく〝と資本にすがっているように思えます。

 「労働基準法の基本原則などを堅持しながら、労働者の多様な働き方を実現することは労使協議等を通じて今でも可能であり、強行法規としての労働時間規制のあり方を見直す必要はない。」などと事務局長は言います。
 しかし、強行法規などと言いますが、大企業も違反をしているところは数多いはずです。それに、労基法の残業時間の上限だって、過労死スレスレです。
 ―― にもかかわらず、「見直す必要はない」だと! 
われわれ労働者は、団結して、連帯して、資本と対峙し、誇りをもって、より良い労働条件、賃金を勝ち取っていくのだ! 

経団連の『労使労使自治を軸とした労働法制に関する提言』に抗議する

 日本経済団体連合会経団連)は、大企業の2024春闘方針たる「経営労働政策特別委員会報告」公表と同日の1月16日に、『労使自治を軸とした労働法制に関する提言』(以下、『提言』)を公表しました。
 ☞タイトルがヤバすぎる!!
▼タイトルから、透けて見えること
 *「労使自治を軸とした」と表現するのは、「企業別労組の産別勢揃い・横並び」という〝春闘〝の完全な否定を公言できるからです。今年の春闘においても、昨年「満額回答」を行った大企業のいくつかが、「労使フォーラム」を待たずして、賃上げ内容を公表しています。「自社に適した方法で」、と言う経団連・十倉会長の〝各企業ごと〝を強調したことばに呼応しています。
 *「労働法制に関する」とありますが、特に労基法が関連すると思います。労基法は、日本で働く全ての労働者の雇用や労働条件を、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきもの」として、その最低基準を定めた法律です。労働者の生存権を保障することを目的にして、労働契約や賃金の支払いの原則、休日・年次有給休暇、割増賃金などについて定めています。特に、労働時間規制については、労働者の生命・健康はもちろんのこと、労働者の生活時間を保障するためのものであり、規制緩和などもってのほかです。
 これに手をつけようというのだから、労働者にとっての権利はく奪的な内容が予想されます。つまりは、この『提言』は、「労使自治」の名のもとに、国家による・労働者を同一に保護する労働法制の〝規制緩和〝=解体を求めるものである、といえます。
 さらに、『提言』の「3.(1)今後求められる労働法制の姿」では、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきもの」=「生存権」を否定したものとして・「生産性の改善・向上に資する労働法制に見直す必要がある」、とまで言い切っています。わたしは、歯ぎしりせざるを得ません。絶対に、許すことはできません。

 以下に、『提言』の内容を検討していこうと思います。

▼『提言』の核心的な目的
 『提言』は、基本的な視点を三つ挙げています。
労働者の健康確保は最優先
労使自治を重視/法制度はシンプルに
時代に合った制度見直しを
①について
「労働者の健康確保は最優先」などと謡っていますが、労働時間規制緩和の条件として「十分な健康確保」を言っているにすぎません。しかも、「自主的な健康管理に一層努めることが期待される」として、企業としての責任は放棄し、政府と健康保険組合等に任せています。つまり、労働者の健康管理は、自己責任である、と言っているのです。
 しかし、経団連は、労働者の生命や健康にとって最も重要な規制である〝労働時間の規制〝の緩和=規制を取っ払うことを目指しているのですから、とんでもないことです。「労働者の健康確保は最優先」と、本気で考えていたら、労基法に物申すことなどできないはずです。
②について
 「労使自治を重視/法制度はシンプルに」という視点のもと、労基法の見直しを求めています。「労使自治を重視」とは、「労働条件の画一的・集団的な規制」を解体し、企業ごとに「労使自治」の名のもとに、労基法の保護をなくし、適用除外の部分を全面に押し出す、ということです。
 『提言』の言う「労働基準法制による画一的規制の弊害を最低限にしていく」とは、上記のようなことを意味します。
 具体的には、イ)【過半数労働組合がある企業対象】労働時間規制のデロゲーションの範囲拡大、ロ)【過半数労働組合がない企業対象】労使協創協議制(選択制)の創設などを求めています。※「デロゲーション」とは、労働者と事業者との集団的な合意により、各社の実態に応じ規制の例外を認めること―― と経団連は説明しています。要は、〝労働時間規制を適用するな〝ということを言いたいのです。しかし、本来の意味は、法律の有効性を部分的に減じることであり、法律の部分的撤廃または廃止を意味します。
 イ)について☞ 「労働時間規制のデロゲーションの範囲拡大」とは、裁量労働制高度プロフェッショナル制度の対象業務についても、議論の上、拡大することを考えている、ということです。ここでは、資本の言いなりになる労働組合が対象になっています。
 ロ)について☞ 経団連は、労働者の連帯組織であり、経営者側に対して、組合員の労働条件の改善や賃金交渉などを行い、労働者の雇用を守る・労働組合法で守られている〝労働組合〝ではなく、「労使協創協議制」を創設すべき、と言っています。なんの法律にも守られていない・労使協創協議制のもとでも、「労使コミュニケーションの一層の充実に向けて」と称して、「労使一体」の形をつくり、現行労基法では「契約の自由」の制限がありますが、「契約締結権限の付与」や「就業規則の合理性推定や労働時間のデロゲーション」も検討の対象としています。(※下線は、筆者による)
 さて、経団連は、「労働条件の画一的・集団的な規制」をなくすことを目的としていますが、現行の労働基準法は、「労使自治」という企業ごとに決められたものではなく、まさに「画一的・集団的」であるからこそ全国の労働者を対象とすることができるのです。
 ゆえに、経団連の『提言』は、「労使自治」の名目で、労働者保護を外し、労働条件の設定を個別バラバラにする〝規制緩和〝は、労働法制を解体するものだ、と言えます。労働基準が、経営者の意のままになってしまいます。
 また、労組のない企業を対象に、「労使協創協議制」を創設することは、労働組合そのものを否定する、ということです。団結権ストライキ権などのない「労使自治」のもとでは、労働者は個々ばらばらにされてしまいます。個人的な労働者の反論は、経営者につぶされてしまうでしょう。


 さて、昨年3月20日に厚労省が設置した「新しい時代の働き方に関する研究会」が会合を重ね、「報告書」を10月13日に公表しました。その中では、労基法の「労働者」「事業場」などの概念を見直す、と言っています。そして、この研究会のメンバーである水町教授は、「国家による上からの一律の規制に代わる新たな規制手法を考える」、と昨年5月16日の会議に提出した資料(「労働基準法制の改革の視点」)の中で明言しています。以上のことを付け合せると、経団連の『提言』は、独占資本と政府の「生産性の改善・向上に資する労働法制」に向けたものとして具体化したもの、といえるのではないでしょうか。

 こんな『提言』は、ぜったいに許すことはできません。全国の労働者は、団結することの重要性をかみしめながら、春闘の最中であるからこそ、この『提言』に対して反対の闘いを創り出していかなければなりません。あきらめずに、団結して、頑張ろう!

2024「労使フォーラム」の欺瞞

 2024年1月24日、経団連は、経営側の基本スタンスを周知することを目的とした「労使フォーラム」を開催しました。このフォーラムの総合テーマは、=「人への投資」促進による「構造的賃金引上げ」の実現=です。
 「人への投資」促進による―― とは、労働力商品をあらかじめ資本とみなして、この「人的資本」を「賃金」と言い、「資本投資」として〝賃上げ〝は行うのだから、必ず生産性向上によるより多くの企業利潤と結び付いたものとして実施されなければならない、というわけです。そして、「人への投資」は、「総合的な処遇改善・人材育成」も含まれるため、「賃上げ」が実際の「労働の価値としてあらわれる賃金」(下線は、筆者)以外のものも含まれるなどと称して、「賃上げ率」が水増しされます。
 「構造的賃金引上げ」―― とは、「賃金と物価の好循環」の別の表現です。つまり、経営者にとっては、生産物の価格を上げても、労働者の購買力が低下しないことが重要です。そのためにはある程度賃金を上げることにより、中間(所得)層の可処分所得を少しばかりふやすことが必要である、ということなのだと思います。

経団連会長の主張
 経団連・十倉会長は、ビデオメッセージで、参加者に対して、「今年は昨年以上の熱量と決意をもって、物価上昇に負けない賃金引き上げを目指すことが経団連、企業の社会的責務だ」「物価動向を重視しベースアップを念頭に置きながら、自社に適した方法でできる限りの賃金引き上げの検討・実施をお願いする」、と呼びかけました。
▼「連合」会長の主張
 このような経団連の主張に呼応して「連合」の芳野会長は、2024春闘に向け「3%以上の賃上げ分(ベア)を含む5%以上の賃上げを目安とする」と方針を掲げ、30年ぶりに3%台の賃上げを勝ち取ったとした・昨年の「5%程度」より「以上」にしたことにより、一歩踏み込んだ、とアピールして見せました。(※下線は、筆者による。)

 経営側が、「連合」の「5%以上を目安にする」という賃上げ方針を咎めないのは、「連合」が言っていることは経団連の言う「自社に適した方法」と同じ意味のことを言っているのだ、と理解しているからだと思います。つまり、「連合」指導部は、本気で5%以上の賃上げを経営者に要求してはいない、ということです。

 さて、この「労使フォーラム」をもって、事実上、春闘がスタートするはずなのですが、今年の春闘に向けて、昨年満額回答を示した大手企業の間では、経営側が組合側との交渉を待たずに早期に賃上げの方針を表明する動きも相次いでいます。
 この動きは、2024年の労使交渉は1月24日がスタートなのではなく、大手企業においては、すでに昨年のうちから始まっていたことを示しています。このことは、春闘方式のあからさまな破壊です。残念ながら、「連合」指導部の裏切りにより、春闘のあり方が、企業の持続的成長のための「労使の協創の場」に変質してしまっているからだと思います。

 今年1月から5月までに値上げが決定している飲食料品は、オリーブオイルやゴマ製品、 ケチャップや冷凍食品、輸入ウイスキーなど累計で 3891 品目判明しました。2024 年の値上げは、23年初旬に値上げして以降1年ぶりに価格改定を行う食品も多いです。値上げ の要因としては食材価格の上昇に加え、プラ製トレーや紙パックなどの包装資材、物流費の上昇 が引き続き多くを占めました。ただ、値上げペースは総じて大幅な減速傾向をみせており、24年通年 の値上げ品目数は最大で1万~1万5000品目の水準で推移すると予想されています。
 「連合」の低率な春闘方針では、「高スキル人材」等の一部の労働者以外の多くの労働者たちが、今より一層、生活苦にあえぐことは必至です。

メディアは、このフォーラムの欺瞞的な内容を報じるのではなく、〝労使双方が昨年を上回る賃上げを掲げた〝と今春闘に期待を寄せ、前向きに評価をしている始末です。

 春闘における、経団連の基本スタンスについては『経営労働政策特別委員会報告』を、「連合」については『連合白書』を検討し、後日、ブログに載せたいと思っています。

 さて、経団連は、『経営労働政策特別委員会報告』を発表した1月16日に、「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」を行っています。注視し、検討し、後日、ブログに載せたいと思います。

 

ガザ市の配給列にイスラエル軍が砲撃!

  イスラエル軍が、ガザ市で支援物資配給を待つ住民の列に、戦車から砲撃した、というニュースを夕刊で知りました。なんとも許せない! 絶対に許せない!
 ガザ地区の保健当局によると、昨日(1月25日)、ガザ市で支援物資の配給を受けるために並んでいた人民たちがイスラエルの戦車からの砲撃を受け、少なくとも20人が死亡し、150人が負傷したとのこと。
 しかし、この150人の負傷者の中には重傷者がおり、イスラエル軍医療機関を破壊したため、今後死者数が増える可能性が大です。
 1月25日は、国際司法裁判所によるイスラエルのガザへの軍事攻撃に対する仮保全措置についての判断が示される日の前日です。
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 イスラエルによるガザ地区への軍事攻撃がジェノサイド(集団殺害)に当たるとして南アフリカが提訴した裁判で、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)は1月24日、イスラエルに軍事攻撃の即時停止やジェノサイド防止措置などを命じる仮保全措置についての判断を1月26日に示すと発表していました。
イスラエル側は、あくまでも、軍事作戦は市民ではなくイスラム組織ハマスを相手にしたものだなどと、正当性を主張しています。
 その24日には、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の施設が、イスラエル軍から砲撃を受けました。砲撃を受けたのはUNRWAの職業訓練センターで、約3万人が避難しており、被弾した建物には約800人が避難していました。少なくとも9人が死亡、75人が負傷したとのこと。
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 一方、イスラエル紙ハーレツは、ハマスイスラエルが一時休戦について多くの点で合意した、と報じています。しかし、「一時休戦」は次の攻撃の合間であり、恒久的な「即時停戦」ではありません。いかに欺瞞的なものでしかないかということについては、2023年12月25日のブログ(★「人道支援促進決議」の骨抜き化)および2023年12月02日のブログ(イスラエル軍によるガザ攻撃再開、弾劾! 戦闘の「人道的休止」の欺瞞!)を参照してください。

 

 即時停戦! イスラエル政権のパレスチナ住民たちへのジェノサイド弾劾!
 国際法にも従わないイスラエル政権の残虐極まる横暴を、世界の労働者・人民は、許していいのか!? 
  「二国家共存」を否定する、ネタニヤフ政権を許すな!
全世界の労働者・人民は、民族対立および宗教対立をのりこえて連帯し、反戦闘争を創りだそう!

 

〔追記〕
 国際司法裁判所が、1月26日、「イスラエルは、ジェノサイド条約におけるジェノサイドに相当する行為を直ちに止めるべし」という仮処分が15:2で決定された―― とX(旧:ツイッター)に書き込みがありました。
 さらに、わたしは、付け加えなければなりません。

 イスラエルの労働者・人民は、全世界の労働者・人民と連帯して、シオニズムの呪縛を解き放ち、ネタニヤフ政権を打倒しよう!

◇◆◇ レ・ミゼラブル『民衆の歌』についてコメントをいただきました。

☕このコメントについて、返信する際に、わたしはいろいろ考えさせられ、学ぶことがありました。
 
*〔挿絵について〕
 「これは、違ったら、すみませんが、自由の女神 ドラクロワの摸写でしょうか?
フランス革命関係でしょうか?」 (山口さんより)
 
**このコメントついて、わたしはつぎのように返信しました。
 山口様
 コメントありがとうございます。
 問い合わせのドラクロワの『自由の女神』の絵は、1830年の7月革命の民衆を導く「女神」が主題になっています。彼女は、「三色旗」を手にしています。
 わたしが描いた絵は、1830年7月革命の2年後の「6月蜂起」(エンゲルスは、後に「6月革命」といっています)を、題材にしています。
〔豆知識〕
 1789年、フランス革命が勃発。ルイ王朝は打倒されましたが、王政が復活しました。
 1830年、7月革命。7月27日~7月29日は「栄光の3日間」といわれています。 これにより、ブルボン朝は再び打倒され、その後、ブルジョアジーの押す、ルイ・フィリップが王位に就きました。
 このブルジョアジーの利害を体現している王制に対する、学生と建築労働者、店員たちの蜂起が「6月蜂起」です。ゆえに、彼らのメインの旗の色は、“赤”なのです。ブログの絵のバリケードの上の真ん中で赤旗を振っているのは、映画『レ・ミゼラブル』の中で、最後まで闘った学生のリーダーです。
                                                      
 ***このやりとりについて、中村さんから、次のようなメールをいただきました。
 
 「そうすると、この絵は、映画のその場面を思い起こして描いた、ということなのでしょうか。
 また、そうすると、レ・ミゼラブルは、――私は、小学校の教科書でのジャンバルジャンと新聞でのミュージカルの宣伝広告でしか知らず、まったく無知なのですが、――フランス大革命でもパリ・コミューンでもなく、この1832年の6月蜂起とそれに至る歴史的過程を背景として描かれている、ということなのでしょうか。成長したコゼットやマリウスやエポニーヌだったかもう一人の女性がこの6月蜂起に登場する、ということになりますよね。そうすると、ユーゴーは、この闘いをたたかった学生や底辺の民衆=プロレタリアに共感していた、ということになりますね。」
 
 **** ☕
 新たなことを知った中村さんのワクワク感が伝わってくる、とても嬉しいメールでした。
 実は、原作者のユーゴーは、1832年6月の学生や労働者たちの蜂起を指導した秘密結社「レプブリカン」のメンバーでした。この蜂起の銃撃戦の最中、バリケードの中にいたのです。そのユーゴーが、『レ・ミゼラブル』のラストシーンに、実際あった1832年の6月蜂起を取り入れたのでした。
 1830年の7月革命によりブルボン朝が倒れた後、ルイ・フィリップが王位に就きますが、ブルジョアジーが潤う傍ら、プロレタリアはあいかわらず抑圧と貧苦にあえいでいました。この憤懣が爆発したのです。
 ユーゴーは、『レ・ミゼラブル』の中で、当時のフランスのプロレタリアの現実を見事に表現しています。
 ジャン・バルジャンは、親代わりに育ててくれた姉の7人の子どもたちに食べさせるために、パンを1本盗んだ罪で、19年も投獄されました。
 ジャン・バルジャンの養女になる前のコゼットの母ファンティーヌは、子供がいることがばれて工場を解雇され、コゼットの養育費を工面するために、髪と前歯を売り、売るものがなくなって自分の身体を売るようになりますが、当時の貧民街では珍しいことではなかったようです。※マルクスは、当時の悲惨な現状を『経済学・哲学草稿』で、つぎのように書いています。
 「この機構は、ひとびとをしてこのように賤しい種々の職業、このように悲惨で辛い零落へといやおうなしに陥らせるので、それと比べると、未開状態の方が王様の境遇であるかのように思われるほどである」 「街路をさまようこれらの不幸な女たちが悪徳の生活に入ってからの平均寿命は6年ないし7年である。」
 
 ☕さて、『レ・ミゼラブル』の中で見落としてはならないことは、まだ階級意識に目覚めていないとはいえ、1832年6月、労働者たちが、ブルジョアジーの押す王制を打倒するために立ち上がった、ということです。この闘いが、16年後の2月革命の闘いに引き継がれたのだ、ということです。
 しかし、わたしの前回のブログでは、このことが十分に表現されていませんでした。そのため、中村さんは、山口さんのコメントに対するわたしの返信を読んで、驚いたのでした。現実の闘いは、『民衆の歌』の世界よりももっと進んでいて、ブルジョア革命の枠内での闘いというものではなく、“自由”を突破する形で闘われたのだ、ということを感じたからです。わたしは、中村さんのメールを読んで、やっとそのことに気づきました。

               (2021.08.01 『わたしの中の資本論』より)

レ・ミゼラブル『民衆の歌』

民衆の歌が聞こえるか? 怒れる者たちの歌が、二度と隷属しない者たちの!


 今日は、わたしの大好きな歌を紹介します。
 映画『レ・ミゼラブル』のラストのクライマックスで歌われる『民衆の歌』です。原作者のヴィクトル・ユーゴーは、1832年6月5日~6日のパリで発生したパリ蜂起を題材にしています。 ちなみにこの蜂起は、2年前(1830年)の7月革命(ブルジョア革命)とその反動のなかでの最後の蜂起です。
 映画の中では展開されていませんでしたが、当時のパリは、コレラが蔓延し、飢饉のなか、民衆の不満や怒りが爆発寸前でした。
 バリケードの中で、政府軍の攻撃を待ち受ける学生たちがプロレタリア(賎民)たちと一緒に歌った歌です。特に心に焼き付いたのは、スラム街で生きるガヴローシュ少年の姿です。バリケードをのりこえて、銃弾を拾いにいって、銃殺されます。
 ここで歌っている民衆は、ほとんどが政府軍の銃弾の犠牲になります。けれど、彼らは、ラストシーンに再び登場し、バリケードの上に立ち上がり、『民衆の歌』を歌います。そうすることで、悲劇に終わらせるだけではなく、虐げられた者たちの未来への希望がこめられているように思います。
 みなさんは、どのように感じるでしょうか?
 
 
民衆の歌   Do You Hear the People Sing?
作詞:BOUBLIL ALAIN ALBERT
作曲:SCHONBERG CLAUDE MICHEL
英訳詞:HERBERT KRETZMER
Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
   民衆の歌が聞こえるか?
   怒れる者たちの歌が
     それは民衆の歌う歌
     二度と隷属しない者たちの!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!
   胸の鼓動が
   ドラムを叩く音と共鳴する時
   新たな暮らしが始まるのだ
   明日が来れば!
Will you join in our crusade?
Who will be strong and stand with me?
Beyond the barricade
Is there a world you long to see?
Then join in the fight
That will give you the right to be free!
   我らの革命に加わらないか?
   次は誰が強くなり共に立ち上がるのか? (共に立ち上がろう)
   バリケードの向こうには
   君たちの待ちわびていた世界があるのだ
   さぁ共に闘おう
   搾取なき自由の王国を創るために!
Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
   民衆の歌が聞こえるか?
   怒れる者たちの歌が
   それは民衆の歌う歌
   二度と隷属しない者たちの!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!
   胸の鼓動が
   ドラムを叩く音と共鳴する時
   新たな暮らしが始まるのだ
   明日が来れば!
Will you give all you can give
So that our banner may advance
Some will fall and some will live
Will you stand up and take your chance?
The blood of the martyrs
Will water the meadows of France!
   君はすべてを差し出してくれないか
   我らの旗を前進させるために
   倒れる者もいれば
   生き延びる者もいるだろう
   立ち上がり チャンスに賭けてみないか?
   この闘いの犠牲者たちの血潮が
   フランスの大地を赤く染めるのだ!
Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
   民衆の歌が聞こえるか?
   怒れる者たちの歌が
   それは民衆の歌う歌
   二度と隷属しない者たちの!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!
   胸の鼓動が
   ドラムを叩く音と共鳴する時
   新たな暮らしが始まるのだ
   明日が来れば!
 *日本語訳は、資料をもとにして、わたしが訳しました。多少、意訳になっています。
 さて、パリの6月蜂起から16年後の1848年、2月革命が起こりました。マルクスの盟友であるフリードリッヒ・エンゲルスは、1848年の革命に関して論じた回顧集では、1832年の蜂起を「6月革命」といっているそうです。すなわち、2月革命は、6月蜂起の戦術的な失敗――性急に市庁舎に向かってしまった点など――を研究し、それをさけたことにより成功した、と論じているそうです。1832年のプロレタリアの闘いは、1848年のマルクスに引き継がれ、息づいています。
 「万国の労働者たちよ、団結せよ!」(『共産党宣言』)の呼びかけは、今、わたしの中で生きています。

                (2021.07.25 『わたしの中の資本論』より)