ヒノキの森の案内人のページ

『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

「袴田事件」の冤罪の深層を探る

🍁本題に入る前に、いわゆる「袴田事件」の簡単なまとめを行います。

☞今から58年前の1966年6月、静岡県清水市で味噌製造会社の専務の自宅が全焼し、焼け跡から一家4人の遺体が発見されました。4人は、刃物でめった刺しにされたていました。事件から2か月後、従業員で、元プロボクサーの袴田さんが強盗殺人・放火事件の容疑で逮捕されました。当初、袴田さんは犯行を否認していましたが、連日にわたり長時間の拷問による取り調べの結果、虚偽の「自白」を強いられてしまいました。

 この拷問による取り調べついては、袴田事件弁護団のホームページでリアルに紹介しているので、長くなりますが引用したいと思います。

▶8月の猛暑の中、日曜日も休まず1日平均約12時間、長い日は16時間50分もの取り調べが行なわれました。この間、疲労と睡眠不足、水も与えずそしてトイレにも行かせないで、取調室に便器を持ち込んで、捜査員の目の前で用を足させるのです。時には暴力をふるって精神的・肉体的拷問が繰り返されたのです。

 

「『殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ』と言っておどし、罵声をあびせ棍棒でなぐった。そして、連日2人1組になり3人1組のときもあった。午前、午後、晩から11時、引き続いて午前2時頃まで交替で蹴ったり、殴った。それが取り調べであった。目的は、殺人・放火等犯罪行為をなしていないのにもかかわらず、なしたという調書をデッチ上げるためだ。9月上旬であった。私は意識を失って卒倒し、意識をとりもどすと、留置場の汗臭い布団の上であった。おかしなことに足の指先と手の指先が鋭利なもので突き刺されたような感じであった。取調官がピンで突いて意識を取り戻させようとしたものに違いない」(袴田巌さんの手紙より)。

 

☞第一審の静岡地裁は、小さなシミのようなものの付いた袴田さんのパジャマを物的証拠とし、提出された45通の「供述調書」の中で検察官が書いた1通のみを任意性のある〝証拠〝として採用し、公判を進めました。公判では、袴田さんは、非人道的な取り調べの状況の中で「自白」を強要されたことを明らかにし、無実を訴え続けました。

☞ここで驚くことに、事件から1年2月経ったころ、捜査員が徹底的に調べたはずの味噌タンクから血痕が付着した「5点の衣類」が発見されたと称し、これまた袴田さんの生家からその「衣類」のうちのズボンの「切れ端」が発見されたと称し、検察は、パジャマに替えて、「自白調書」には書かれていない・その発見された血痕の付着した「5点の衣類」を新たな物的証拠として地裁に提出しました。5点の衣類とは、鉄紺色のズボン、鼠色のスポーツシャツ、白色半袖シャツ、白色ステテコ、緑色ブリーフです。地裁は、この「5点の血染めの衣類」と袴田さんの生家から発見されたとするズボンの「切れ端」を袴田さんのものと認め、有罪の証拠として、〝死刑〝判決を言い渡したのです。

☞この判決は上告しても覆ることはなく、1980年11月19日に最高裁が上告棄却し〝死刑〝が確定しました。

☞1981年4月20日に申し立てた第1次再審請求は、2008年3月24日、最高裁が特別抗告を棄却して終了しました。

☞2008年4月25日、弁護団は、第2次再審請求を静岡地裁に申し立てました。

☞2014年3月27日、静岡地裁は、第2次再審請求について、再審を開始し、死刑および拘置の執行を停止する決定を行い、同日、袴田さんは死刑囚のままで釈放されました。

☞しかし、検察官が即時抗告し、2018年6月11日、東京高裁は死刑および拘置の執行停止はそのままに、再審開始決定のみ取り消し、弁護側が特別抗告しました。

☞2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしました。検察官が特別抗告をしなかったので、再審開始決定が確定しました。

☞裁判のやり直しを行う再審公判は、静岡地裁で計15回行われ、検察は死刑を求刑、弁護団は無罪を主張して結審しました。

 2024年9月26日、静岡地裁は袴田さんに再審無罪判決を言い渡し、10月9日に検察官が上告を放棄したことにより、無罪が確定しました。

 

1 袴田巌さんの再審無罪判決が確定!

 「被告人は無罪」と、静岡地裁は9月26日、いわゆる「袴田事件」の第2次再審判決公判で言い渡しました。

 死刑執行の恐怖と50年近い拘留のために今もなお「拘禁症状」と闘う袴田巌さんは、法廷でこの主文を受け止めることはできませんでした。代理出廷した、巌さんの補佐人である姉・ひで子さんは、この主文を聞いて涙が止まることがありませんでした。

 しかし、そもそも袴田さんは、事件当時の1966年からこの日までの58年間、ずっと無実だったのです。それを思うと、警察と司法(検察・裁判所死刑および拘置の執行を停止)の犯した国家的犯罪に対して、怒りがフツフツとわいてきます。無罪判決は、当然すぎることだと思います。万が一死刑が執行されていたら、と思うとそれこそ取り返しがつかないことであり、恐ろしさに身が震えます。

 

静岡地裁の判決のポイント

◎捜査機関による三つの捏造

(1)味噌漬けの衣類に残る血痕の赤みについて

 警察と弁護側の双方の実験結果だけからは、血痕の赤みが残らないとは言いきれない。しかし、発見当時の乾燥や酸素濃度は、血痕の赤みを消す⇒赤みは、「残らない」と判断しました。

 また、凶器などが現場に残されているのにもかかわらず、犯行着衣だけを持ち出して、工場内に「隠匿すること自体、不自然で不合理な行動」「袴田さんの有罪を確信していた捜査機関にとって無罪になることが」「とうてい許容できない事態であったことが優に認められる」として、捜査機関による捏造である、としました。

(2)ズボンの切れ端

 このズボンは、「5点の衣類」のひとつで、この「切れ端」について、発見報告書では、袴田さんの実家で発見されたとしているが、母親が「巌のもので、葬儀で使ったものではないかね」と供述をした旨の記載がありました。これが、過去の裁判官らに有罪の心証を与えたというのがあります。袴田さんの母親が語ったとされることについて地裁は、「宣誓も偽証罪の制約もなく証拠の信用性を判断することは困難」としたうえで、発見報告書で「5点の衣類」のズボンと〔同一生地同一色〕とされていることについて、時系列から見ても「味噌などに濡れて固くなった状態のズボンと乾燥した切れ端が同一生地同一色と認めることははなはだ困難」であり、切れ端が押収された経緯などは、「捜査機関による持ち込みなどの方法によって実家に持ち込まれた後に」「押収されたものと考えなければ説明が極めて困難」、としました。

(3)取調べ調書

 任意出頭から自白までの19日間、夜中または深夜に渡るまで1日平均およそ12時間の取り調べを受けたもので、「虚偽自白を誘発する恐れの極めて高い状況下」で「肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べによるもの」で、「実質的に捏造されたもの」としました。

 

2 控訴断念を発表した検察――検事総長の談話を発表した意図は?

 その後、検察は控訴期限の2日前(10月8日)に、控訴を断念することを発表しました。しかし、同日、判決内容について「とうてい承服できない」と不満を顕わに、異例の畝本直美検事総長の談話を発表しました。その内容は、談話の半分は判決への不満でした。

 「談話」では、控訴しない理由について「袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。」としています。

 冗談じゃない! これは、まさに、検察上層部の居直りでしかない! 無実の人間を〝死刑〝にして、50年近くも勾留してきたという権力犯罪である、ということの自覚の一欠けらもありはしない!

▼「相当な長期間にわたり」とは、どういうこと?

 おかしいよね、検察が不服申し立てをしたからじゃないの? そして、「証拠開示」を遅らせたからじゃないのか?

▼「法的地位が不安定」とは、どういうこと?

 袴田さんを犯人であるとできない疑いが十分あるとして再審が決定されたり、取り消されたりして、長年にわたって犯人でない可能性を含んだ死刑囚であったことが挙げられます。

 また、第一審で判決文を書いた裁判官が、「無罪の心象だった」と告白したことも、「法的地位の不安定」さを生んだ要素のひとつであると言えます。

 再審がもっと早く行われていたら控訴したかの記者からの質問に、関係幹部は、「今起きた事件でこの判決文だったら、控訴する」と答えたそうです。

 しかも、「改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり」と、実は袴田さんが犯人であることに確信を持っている、と言っているのです。つまり、袴田さんは静岡地裁無罪を言い渡されたが、けして無実ではないのだ、と言いたいのです。あくまでも、犯人は袴田さんでなければならない、と99.9%の有罪率を誇る検察の「名誉」にかけて、そう押し出しているだけです。

 また、「本判決が『5点の衣類』を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」と抗議の姿勢を顕わにしています。そのうえ、「検察官もそれを承知で関与していた」という、冤罪を作り出した張本人にされていることに対して、「何ら具体的な証拠や根拠が示されていません」と、真っ向から否定し、闘争心をむき出しにしています。検察全体での悔しさがにじみ出ているように思います。有罪を立証する「証拠」は、検察の聖域であり、そこを地裁にグシャグシャにプライドを踏みつけられたことへの怒りと、検察現場の士気が下がることへの喝入れの様にも思えます。

 とにもかくにも、控訴するだけの有罪にする確固たる証拠がない! (証拠を捏造したのだから、当然であろう!) だから控訴を断念します、なんて検察の立場から今さら言えないので、最高検で検討した結果、こんな検事総長談話なんか出してきたように思います。

 

こういうことですから、「絶対に間違わない」検察ですから、当然、袴田さんへの謝罪はありません。冤罪で、しかも死刑が確定している人の胸の内なんて、およそ考えないのでしょう。

 

👇検事総長の談話【全文】

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241008/k10014604621000.html#anchor-02

 

3 検事総長の談話に寄り添う・法務大臣の判決の受け止め

 一方、牧原法務大臣は、10月11日の定例会見で、「相当の長期間にわたって袴田さんが法的に不安定な地位に置かれたという状況については大変申し訳ない気持ちだ」と検事総長の談話をコピペするような表現で「謝罪」の意を示しました。しかも、検事総長の談話が袴田さんを犯人視しているとの弁護団などの批判については、「検察は無罪を受け入れている。不控訴の判断理由を説明する必要な範囲で、判決内容の一部に言及したものと承知している。そうした意見は当たらない」、として検事総長を擁護しています。

 袴田さんの弁護団検事総長の談話に対して抗議声明を出したのは、検察として控訴を断念して無罪判決を受け入れているのにもかかわらず、検事総長として「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます」などと、控訴断念と矛盾する意味のことを発言し、検察の公式見解として公表しているからです。

 

 さてもさても、司法の権力者たちは、警察・検察・裁判所によって作り出した冤罪=国家権力の犯罪によって、無辜の人間が死刑執行のどす黒い影におびえて娑婆に出ても生きた心地のしない毎日を送っていた袴田さんに対する罪の意識は全く無いようです。まったく許しがたいことです。

 

4 警察の判決に対する姿勢

 おまけとして、静岡県警本部の談話について、少々述べます。

(1)検事総長の談話について、「判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴すべき内容である」が、「袴田さんが、長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことを考慮した結果、控訴してその状況が継続することは相当でないとの判断に至った」、とまとめています。

(2)「当時捜査を担当した静岡県警察としても、袴田さんが長きにわたって法的地位が不安定な状況に置かれてきたことについて、申し訳なく思っております。」

(3)「最高検察庁において、本件の再審請求手続が長期間に及んだことなどについて所用の検証を行う予定である」が、「静岡県警察においても、可能な範囲で改めて事実確認を行い、今後の教訓とする事項があればしっかりと受け止め、より一層緻密かつ適正な捜査を推進してまいります。」

 

 静岡県警は、静岡地裁に、証拠を捏造したことを認められたのにもかかわらず、「正義の警察が、証拠の捏造をするなんていうことがあるわけないじゃないか」と反論することもせずに、しれーっとそのことには触れないで済まそうとしています。

 静岡県警は、事件当初から、土地の人間ではなく、元プロボクサーの袴田さんを犯人であると決めつけ、非人道的な取り調べにより虚偽の「自白」を獲得し、その「自白」内容を裏付ける証拠を捏造しました。そして、その作られた「証拠」を基に検察が起訴を行い、最高裁で〝死刑〝が確定したのです。そのことにより、袴田さんは、今でも「拘禁症状」が融けないままでいるのです。

 他方、58年前に一家4人を惨殺した真犯人は、のうのうと何食わぬ様子で社会生活を送っているのです。静岡地裁が「犯人であるとは認められない」と判断したということは、地裁が真犯人は他にいる、ということを突き出したことになります。このことについて静岡県警は、どう応えるのでしょうか? 今、はっきり言えることは、警察は、真犯人を逃がした! ということです。なんと、恐ろしい!

 

5 「冤罪」の本質とは何か?

 「冤罪」の法的規定は、ありません。

 しかし、こんな規定が定まっていないことばを使ったところで、要は、警察・検査・裁判所が真犯人を逃がし、無実の人を犯人に仕立て上げ、そのために証拠を捏造し、証人をでっち上げ、罪を押し付けた、ということです。これは、文字通り権力の犯罪です。

 袴田さんは、一度死刑が確定されてしまったのです。もしも、執行されていたら、その責任は、警察・検察・裁判所、そして警察情報に疑問を持たずに独自調査もなく鵜呑みにして報道したマスコミにあると思いますが、死んでしまったら、誰も責任は獲れません。このような不条理なことが、延々と引き継がれ今も続いています。許せないことです。

 袴田さんは、再審無罪が確定しましたが、しかし一生の大半は国家権力によってズタズタにされ、いまだに「拘禁症状」が回復していません。

 わたしは、このような権力犯罪を許さない立場から、今後もブログに意見を載せたいと思っています。

 

だから、「冤罪」は無くならない!

「公判が持たない」と、2021年7月起訴取り消しになった大河原化工機冤罪事件。翌年、警視庁公安部で実施された・捜査の問題点検証の為のアンケートは、警視庁幹部に叱責され、「廃棄」に! こういうことだから、冤罪はなくならない!

 毎日新聞はこのアンケートを関係者から入手した。質問は、5項目。▼立件に不利な「消極証拠」が存在したのか ▼(輸出規制を担当する)経済産業省や地検との」関係はどうだったかのか、等々。

 無記名方式で回答を求めたところ、複数の捜査員が「(警察の懲罰を担当する)監察で調査すべきだ」と記した、とのこと。

 詳細は、下記の記事を参照してください。

 

追跡公安捜査:大川原化工機事件 警察庁幹部「やるな」 消えた警視庁の検証アンケ | 毎日新聞

日本被団協がノーベル平和賞を受賞 ――「核のタブー」の意味?

1 日本被団協ノーベル平和賞受賞は冷静に受け止めるべきでは?

 今年のノーベル平和賞は、70年近くの長きにわたって、核兵器廃絶と反戦を訴えてきた・日本原水爆被害者団体協議会(略称:日本被団協)が受賞しました。

 ※広島と長崎に原爆が投下されてから9年後の1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で被爆しました。 これをきっかけに、日本では原水爆禁止運動が高まり、2年後の1956年、被爆者の全国組織として日本被団協が結成されました。

 

 さて、このノーベル平和賞は、「世界的に権威ある賞である」といわれていますが、皮肉なことに、このような賞が必要なほど世界に争いが絶えないことをあらわしている、と言えます。しかも、受賞者選定は、世界の権力者たちのその時々の政治的な思惑の中で決定されているのです。

 2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の原動力となったとして、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年のノーベル平和賞を受賞した時、日本被団協も一緒に受賞してもおかしくなかったはずなのです。そうならなかったのは、日本被団協の結成のきっかけが、マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で被爆したことをきっかけで高まった原水爆禁止運動だからです。もろに、米国への批判が再開・沸騰してしまうことを米国が嫌い、米国の反感を買うことを避けたノルウェー・ノーベル委員会が受賞対象から外したからではないでしょうか。

 米国の二度の原爆投下により被爆した人のうち生き残った者たちは、戦後、謝罪もない米国の占領下で被害や苦しみの声を上げることもできず、日本政府の救済策もない「空白の10年間」を耐え抜いてきました。被爆者の方々が自らの命を削るようにして、およそ70年もの間、差別とも闘いながら、己の原爆被害の傷痕を晒しながら、核兵器廃絶や反戦を全世界に訴え、原爆の被害者に対する国の賠償を求めるなどの活動を続けてきたその闘いは、本当に立派で頭の下がることだとわたしは思っています。

 今回のノーベル平和賞の受賞を受けて、日本被団協の方々は、今まで地道に核兵器廃絶や反戦を訴えてきたことが「世界に認められた」と受け止めていますが、本当にそのように素直に受けとめてよいのでしょうか。

 長崎「被爆体験者」訴訟団の岩永原告団長は、日本被団協の受賞に対して祝辞を述べたうえで、「平和に向けた一つのきっかけはつくった」と冷静な受け止めをしています。岩永さんがこのような受け止めをしたのは、〔日本被団協の受賞により、世界が核の存在を意識するようにはなる〕が、この世界から核兵器はまだ無くなっていないからだ、とわたしは思います。そして、「内部被曝の実態が闇に葬られている」、と岩永さんが感じているからだと思います。さらに、岩永さん(※第二次全国被爆体験者協議会・会長)は、いまだに国に「被爆者」とは認めてもらえずにいる原爆の被害者たちが存在していることを多くの人たちに知ってもらい、原爆の被害を受けた全ての人を救済してほしいと訴えています。

 

 ノルウェー・ノーベル委員会が日本被団協を評価した理由

 ノルウェー・ノーベル委員会(以下、ノーベル委員会)は、「核兵器のない世界の実現に向けた努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを本人たちの証言を通して示したこと」を評価して、日本被団協ノーベル平和賞を受賞することになった、としています。

 さて、この受賞理由の上記の文言の中でノーベル委員会が重きを置いていることは、日本被団協のめざす「核兵器のない世界」ではなく、「核兵器が二度と使われてはならない」の方です。a world free of nuclear weapons=「核兵器のない世界」というフレーズは、プレスリリースの冒頭のここでしか言われていません。

 ノーベル委員会が強調しているのは、“nuclear weapons must never be used again”すなわち、「核兵器が二度と使われてはならないこと」であり、“the nuclear taboo”=「核(兵器使用)のタブー」の重要性です。この「核のタブー」という言葉を、プレスリリースの中で何度も重ねて使用しています。それは、ノーベル委員会にとって、「核兵器のない世界」=核兵器廃絶よりいかに核兵器を「二度と使わせない」ことの方が重要だからです。ノーベル委員会が推したのは、日本被団協のその活動が「核のタブー」という国際規範の形成に大きな役割を果たしたからです。核兵器を「無くす」ではなく、「使わせない」ということが、ノーベル委員会にとって重要なことなのです。

 ノーベル平和賞では、これまでやってきたことの具体的な成果が求められます。日本被団協において認められた〝成果″は、「核のタブー」という国際規範の形成への大きな貢献ということです。日本被団協が求める「核兵器のない世界」=核兵器廃絶については、「実現に向けた努力」としか認められていません。なぜなら、特にロシアやイスラエルの動向を見ればわかるように、核兵器のない世界はむしろ遠のいている、と言えるからです。

 

3 ノーベル委員会の思惑

 現在の世界情勢は、イスラエルがイランの核施設を攻撃するか否か、ロシアがウクライナに対して戦術核兵器の使用に踏み切るか否かのcritical moment 危機一髪の局面に来ています。ノーベル委員会の5人は、彼らに対して、「核施設への攻撃はやめろ! 持っているブツ(=核兵器)を決して使うなよ!」と、当事者の名指しを避けたうえで、大胆なメッセージを送っているのです。日本被団協に、ノーベル平和賞を授与する、という形式において。ノーベル委員会は、米国の意図に沿って、実に巧妙な手腕を発揮している、と思います。

 

◎ここまで書いてきて、はっきりすることは、ノルウェー・ノーベル委員会は、「核抑止力」を否定しているわけではない、ということです。ましてや、平和賞は、反戦反核を訴えるものではない、即時停戦を呼びかけるものではない、ということです。戦争の根源を絶つことを目指す反戦闘争とは無縁のものです。だから、イスラエルパレスチナ人民に対するジェノサイドに抗して人道的支援を行う団体へは授与されないのです。

 では、わたしたちは、どのようにすべきでしょうか?

 全世界の労働者・人民が連帯し、戦争をしたがる権力者たちの野望を暴き出しながら、「核廃絶」および即時停戦を呼びかけていくことが大切なのではないでしょうか。

 さらに、戦争の根源を絶つような力を結集していくようなことが、問われているのではないでしょうか。

                               (2024.10.27)

 

 長崎「被爆体験者」訴訟の深層

 今年9月21日、岸田首相は、長崎「被爆体験者」訴訟の原告のうち15人を「被爆者」と認めた長崎地裁の判決(9月9日)に対して、なんと〝控訴〝すると表明しました。他方、〝救済策〝として医療費の助成を≪被爆者と同等≫とする、という欺瞞的な政治的「解決策」を示したのです。

 当然にも原告側は、長崎地裁が「被爆者」と認めた15人をも切り捨てる・国による〝控訴〝について、「(合理的な)解決にならない!」と猛反発しました。原告団長の岩永さんは、記者会見の場で救済策について、「そんなものいりません」ときっぱりと切り捨てました。平均年齢85才を超える現在まで20年以上、法廷の内外で闘い続けてきた長崎の「被爆体験者」たち。その闘いの根っこにあるのは、「被爆者」と認められることです。

 国に「被爆者」と認めさせるということは、米国による原爆投下後に、「死の灰」や「黒い雨」、チリなどの放射性微粒子を含んだ降下物が降り注いだ環境で何も知らずに生活していたために、その後亡くなったり、今もなお生きている限り病気に苦しんでいる――そのような現実を無かったことにさせない、ということです。原爆による放射線に直接当たろうが、放射性微粒子を含んだ降下物を浴びようが、どこに居ようが、原爆により被爆したという事実に何ら変わりはないではないか、差別するな、ということを国に突きつけているのです。

 そのことは、しかし、米国の核の傘の下にあり「核抑止力」を必要とする日本政府にとっては、絶対に認めたくないことに違いありません。

 8月9日に首相が「被爆体験者」と交わした「合理的な解決策を調整する」という〝約束〝は、「被爆体験者」たちの「被爆者」と認めてくれるのではないかという希望を、はかなくも打ち砕きました。

 けれど、「被爆体験者」たちは決して諦めません。団長の岩永さんは、記者会見で、次のように語っていました。「死ぬまで闘います。」「私が欲しいのは、内部被曝を否定できないという判決文。その判決を勝ち取り、内部被爆の怖さを国内外に広め、『核兵器廃絶』に向けて少しでも役に立てればと思っています。」この岩永さんのことばは、「核兵器廃絶」への思い、「福島第一原発事故による内部被曝」に抗議している人々を勇気づけています。

 わたしは、彼らの闘いに学びながら、この「被爆体験者」訴訟の深層を探っていきたいと考えています。

 

**目 次**

1 被爆体験者」との〝約束〝――その政治的な解決の欺瞞

2 国に屈服した長崎県長崎市

3 広島高裁判決の意味するもの

 イ 「被爆体験者」たちが希望をもった広島高裁判決

 ロ 「内閣総理大臣談話」の持つ意味

 ハ 「被爆者」認定の「新基準」の反動性

 ニ 国が無視する「内部被曝」の現実

4 今も引き継がれるファーレル准将の声明

◎「被爆体験者」から学び、ともに闘おう!

 

 

1 「被爆体験者」との〝約束〝――その政治的な解決の欺瞞

 岸田首相は今年の8月9日、長崎市での平和祈念式典参列後に「被爆体験者」と面会しました。当日首相と握手を交わした第二次全国被爆体験者協議会・岩永千代子会長は、首相の手を握りながら「内部被曝をぜひ世界に発信して、核の被害が二度と起こらないように…」と言いました。それには応えずに首相は、「早急に課題を合理的に解決できるよう」に努めると約束しました。

 その1ヵ月後の9月9日、長崎地裁は、原告44人のうち「黒い雨」にあったと認められるとした15人を「被爆者」と認定しました。

▽爆心地から半径12キロ以内に住んでいた人を対象に行われた過去の調査で、雨が降ったという証言が相当数あったこと

▽当時の風の向きや強さなどをふまえ、「被爆者と認められる地域に指定されていない今の長崎市の東側の一部でも、いわゆる『黒い雨』が降った事実が認められ、この地域では、原爆由来の放射性物質が降った相当程度の可能性がある」と指摘したのです。

 しかし、一方で、この地域以外に住んでいた原告については、「放射性物質が降った事実や可能性は認められない」として訴えを退けました。

 この長崎地裁の判決で注目すべきことは、2021年の広島高裁判決後に制定され・2022年4月から運用された・「被爆者」認定の「新基準」を適用した判決である、ということです。すなわち、放射線によって健康被害を受ける可能性が否定できなければ、被爆者と認めるという判断をした広島高裁の判決内容を否定することを目した「新基準」に従って、「被爆者と認めるには、合理的な根拠や一定の科学的根拠が必要である」としたのです。そのために、原告29人の訴えは退かれたのです。
 さて、この長崎地裁判決後の9月21日、岸田首相は、司法判断の根拠に対する考え方が、「被爆体験者」が敗訴確定した最高裁判決と今回の長崎地裁の判決内容とは異なるとして、「上級審の判断を仰ぐべく、控訴せざるを得ない」と表明し、そのことを当日面会した長崎県知事と長崎市長に伝えました。

 2016年、長崎地裁年間積算被ばく線量が25ミリシーベルト以上の場合は健康被害が出る可能性があるという独自の判断を示し、原告のうち10人を、初めて「被爆体験者」を「被爆者」と認めました。しかし、2019年福岡高裁は、「年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝によって健康被害が生じる可能性があるとする科学的知見は確立していない」として長崎地裁判決を取り消し、原告全員の訴えを退け、最高裁判決が確定しました。

 つまり、首相は、せっかく最高裁で「被爆体験者」たちの訴えを却下し、「被爆者」認定をしなかったのにもかかわらず、それで終わりかと思ったら、長崎地裁が原告の一部・15人を「被爆者」と認定したことに怒り、最高裁で「被爆体験者」は完全敗訴しただろうにと一蹴し、法的決着をもって再度全員の訴えを退けようとしているのです。

 一方で、首相は、原告のみならず全ての「被爆体験者」とされる約6300人への医療費助成を《被爆者と同等》とする方針を示しました。「被爆体験者」に課せられていた・「被爆体験者」支援の要件である精神科への受診は撤廃とするなど、「被爆体験者」が受けられる支援は大きく広がることをアピールしました。つまり、この問題をこれで終わりにしようと、〔金を払ってやるから、もう騒ぐな〕とでも言っているかのようです。

 そもそも8月9日の面会時のことをよく思い出してみれば、当日も岸田首相は、〔「被爆体験者」を「被爆者」と認定する〕とは、ひと言も言いませんでした。首相の「合理的な解決」という「被爆体験者」との〝約束〝の果たし方は、最初から決まっていたのです。国の書いたシナリオどおりの酷い話です。

 現地では「皆に支援が行き渡る」と評価する声が上がる一方で、訴訟で「被爆者」認定を求めてきた原告からは「同じ原爆に遭っているのになぜ被爆者としないのか」との批判が相次ぎました。もっともな言い分です!

 原告団長の岩永さんは、首相が打ち出した≪被爆者と同等≫の医療費助成についても「論外です。医療費の助成などのお金がほしいのではなく、被爆者だと認めてほしかった。この苦しみが原爆によるものだと認めて欲しい」(下線は筆者)と語気を強めていました。さらに岩永さんは、国による長崎地裁が「被爆者」と認めた15人をも切り捨てる〝控訴〝について、「『合理的な解決』とはまったく不釣り合いだ」と批判し、こちらも〝控訴する〝と、さらに闘う姿勢を貫いています。

 

📝被爆体験者」の証言は認めず! という厚生労働省の姿勢

 被爆体験者」につて、厚労省は、科学的根拠が乏しいのにもかかわらず「放射線の影響はない」という考え方で、被爆体験による心的外傷後ストレス障害PTSD)などの精神疾患や関連症状、※胃がんや大腸がんなど7種類のがん(2023年4月より)を医療費助成の対象としています。※7種類のがんへの「医療費補助」は、精神疾患に伴って発症し、医療費補助の対象になっている「合併症」と「発がん性」の関連を研究する事業の一環で、研究協力への対価として医療費を支払うというものです。つまり、放射能の影響により発症したがんへの救済、ということではないのです。

 さて、武見厚労相は9日の長崎地裁判決を不服とし控訴する理由の一つとして、長埼地裁判決が一部地域=旧3村に黒い雨が降ったと事実認定したことをめぐり、訴訟で採用された証拠は「バイアス(偏見)が介在している可能性が否定できない」として先行訴訟では採用されなかった点をあげました。

 原爆投下直後のいわゆる「黒い雨」をめぐっては、国は、広島では被爆地域の外にいた人でも、「黒い雨」を浴びた可能性が否定できない場合などは被爆者と認定する基準を設けていますが、長崎では、よく調べもせずに客観的な記録がないなどとして雨が降ったことを否定する見解を示しています。
 これについて、厚労省は、昨年7月に長崎原爆死没者追悼平和記念館が所蔵するデータ化された被曝体験記を調査し、放射性物質を含む「黒い雨」や「死の灰」などについて調べていましたが、抽出した3744件のうち雨に関する41件、飛散物に関する記述159件を確認しました。

 しかし、この内容を評価した防疫学、放射線疫学などの御用学者たちは、「それぞれの思いを記述したもので、データとしては信頼性に乏しい」とか「被爆体験から執筆までに記憶が修正された可能性がある」などと、とんでもないことを言っています。厚労省は、この御用学者たちのでたらめな「意見」を踏まえ、「降雨などを客観的事実としてとらえることはできなかった」と結論付けたのです。

 しかし、今でも、土壌にはプルトニウムからの生成物が残っており、放射線を出し続けています。

 厚労省の結論づけたことから透けて見えるのは、被爆体験者の実体験――「黒く墨のような雨が口の中に入った」、「晴天で明るかった空がおぼろ月夜のようになった後、黒い雨が降り出した」、「灰の降った井戸水を飲んだ」、「灰の付いた野菜を食べた」、「灰を集めて肥料にした」……などなどの「被爆体験者の証言など認めず」という厚労省の一貫した姿勢です。それは、被爆地選出の権力者=岸田首相の姿勢そのものなのです。

 

2 国に屈服した長崎県長崎市

 21日をさかのぼる19日午後、原告たちは、長崎市役所の廊下でアポなし会見を行いました。大石知事と鈴木市長が面会に応じない上、判決後の国と県・市の協議内容が知らされないなどとして、県市への抗議文を発表しました。そして、原告団長の岩永さんは、「すでにたくさんの人が亡くなっています」と涙ながらに全面救済を訴えました。この時、大石知事は、「われわれもできることを全力でやっていく」と応じていました。

 9月18日、大石知事と鈴木市長は控訴を断念したい意向をオンラインで面会し、国に表明していましたが、3日後の21日に首相公邸で岸田首相および武見厚生労働相と面会し、〝控訴〝の方針を伝えられると、屈伏して受け入れてしまいました。そして、控訴期限の9月24日、原告の「被爆体験者」たちに、「控訴」したことを陳謝しながら釈明しました。

長崎市・鈴木市長:
「我々水面下で色々当たらせていただきました。それでも壁は厚かったです。」

☞第二次全国被爆体験者協議会 岩永千代子会長:
「国が固執しているのは放射性微粒子による内部被曝を認めないことだと思う。(内部被曝の被害を)遺棄しようとしているのではないかと思います。」

 岩永さんは、御用科学者らが導き出した(放射線影響研究所などの)「見解」にとらわれず、実際の証言に向き合って放射性微粒子の人体影響を検証して欲しいと訴えており、「もし被爆者と認められなくても、内部被曝を検証する道が開ければそれは勝ちだと思う」と力強く、しかし、苦渋に満ちた発言をしていました。

 

3 広島高裁判決の意味するもの

 イ 「被爆体験者」たちが希望をもった広島高裁判決

 精神疾患に限定された援護措置と、援護対象区域の人為的で機械的な線引き

の不合理に抗う「被爆体験者」たち。「黒い雨」訴訟の広島高裁判決は、長崎「被爆体験者」にとっても、転機になると思われました。「内部被曝を明らかにしてくれたと思いましたよ。雨に打たれようが打たれまいが、被爆者だと判断してくれた。だから、私たちも当然認められると思ったんです」、と岩永さんは広島高裁で「黒い雨」訴訟原告団が全面勝訴した2021年当時を振り返っていました。

 

 ロ 「内閣総理大臣談話」の持つ意味

 広島高裁判決受け入れの際に、菅元首相は、「内閣総理大臣談話」(※2021年7月27日閣議決定)を発表しています。そこでは、「今回の判決には、原子爆弾の健康影響に関する過去の裁判例と整合しない点があるなど、重大な法律上の問題点があり、政府としては本来であれば受け入れ難いものです。」と「被爆者」認定申請が広がらないように釘を刺し、今回は特別なのだと念押しをしています。そのうえで、政府は、「とりわけ、『黒い雨』や飲食物の摂取による内部被曝の健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきとした点については、これまでの被爆者援護制度の考え方と相容れないものであり、政府としては容認できるものではありません。」と、「黒い雨」のみならず「死の灰」やチリなど原爆による放射線降下物は認めない、という一貫した姿勢を崩してはいないことを強調しています。

 2021年当時は、新型コロナウイルスの感染が急拡大する中で、東京五輪パラリンピックを開催したことで、直近の世論調査のほとんどで内閣支持率が最低を記録していました。「黒い雨」訴訟で高齢化した原告をさらに苦しめる対応を取れば、世論の反発がさらに強まりかねないということで、上告断念は、秋までに行われる衆院選に向けてマイナス材料を増やすことは避けたいという当時の菅首相の判断があったとみられます。

 

 ハ 「被爆者」認定の「新基準」の反動性

 当時の菅首相は控訴を断念し、広島高裁判決を受け入れ、広島で「黒い雨」が降ったとされる地域にいた人を「被爆者」と認定する《新基準》を2022年度から運用していますが、けして原爆による被爆(特に内部被曝)を認めたわけではありません。

 広島高裁判決を受け入れた菅元首相は、原告全員に手帳を交付し、「原告と同じような事情にあった人も救済する」と表明。2022年4月から「新基準」による救済制度が始まりましたが、この制度にも問題があるのです。

 新制度は、①広島の「黒い雨」に遭い、その状況が「黒い雨」訴訟の原告と同じような事情にあったこと ②障害を伴う一定の疾病にかかっていること――を「被爆者」認定の要件としました。この新制度では、広島でも「被爆者」と認定されずに切り捨てられる人たちが多くでました。そして、「被爆者」と認定されるためには、上記①および②を、原爆の被害に遭った高齢の人たちが科学的証拠をもって自ら証明しなくてはならないのです。

 なお、「新基準」の適用は広島に限定されました。長崎「被爆体験者」は最高裁で敗訴していることに加えて、「黒い雨が降ったことを示す客観的資料がない」とされ、「新基準」の対象外となり、厚労省との協議継続となったのです。

 しかし、長崎地裁判決においては、この「新基準」を適用したものとなっているのです。

 「新基準」に基ずく制度は、放射線によって健康被害を受ける可能性が否定できなければ、被爆者と認める判断をした・広島高裁判決を〝先例〝とすることを妨げ、原爆による被害をことさら小さくしたいという政府の思惑を孕んでいるのではないでしょうか。

 

 ニ 国が無視する「内部被曝」の現実

 「被爆体験者訴訟」の原告団長を務める岩永さんは、放射性微粒子がもたらす内部被曝が無視され調査もされていないことに一貫して抗議を続けており、自分たちの体験・証言を元に原爆がもたらす被害の可能性の一つとして、「内部被曝」について調査・研究を進めることを求めてきました。

 岩永さんたち「被爆体験者」は、原爆によって生成された放射性微粒子が体内に入って「内部被曝」を引き起こした可能性を認めてほしいと訴えており、鼻血・脱毛・下痢の症状が出て、腹が膨れて死んだ人もいると自らの体験を伝えてきました。

 しかし、日本政府が長崎地裁判決に対して〝控訴〝し、改めて否定したことは、人為的・機械的に線引きした被爆地域の外まで拡散した原爆の放射性微粒子による被爆の可能性です。政府は、戦後一貫して原爆から二次的に発生した放射線の健康影響について「無視できる」という立場をとり続けています。つまり、「内部被曝」を認めない、ということです。

 原爆の「残留放射線」の人体影響については、日米共同研究機関である放射線影響研究所が、推定被曝線量などに基づき「無視できる程度に少なかった」とする「『残留放射線』に関する放影研の見解」を発表しています。ましてや、「内部被曝」のことについては、論じていません。

 これは戦後一貫した原爆の「残留放射線」に対する政府の考えでもあり、今回の政治判断(=岸田首相が「被爆体験者」たちと約束した「合理的な解決」)もこの見解に基づいたものであるといえます。

 

4 今も引き継がれるファーレル准将の声明

 日本政府は、基本的には初期放射線しか影響がないのだ、という立場です。放射性降下物による被曝と、その放射性物質を体内に取り込んだことによる「内部被曝」を認めたら、影響が膨大すぎるからでしょう。放射線量を推計して、影響が出る範囲はこれだけ、という風に数字で示して限定したいのです。それが崩れると、影響が及んだ範囲が際限なく広がってしまうからです。

 敗戦直後の1945年9月6日、来日していた「米・原子爆弾災害調査団」の一行が東京で記者会見を行い、団長のトーマス・ファーレル准将が「広島・長崎には原爆症で死ぬべきものは死んでしまったから、放射能の影響で苦しんでいるものは皆無である」と発言した時から、米国は被爆の影響を小さく見せたいという姿勢で一貫しています。要するに、「きれいな爆弾」でないと使えないからです。軍人以外の一般市民を無差別に殺傷し、生き残った人たちも放射能内部被曝の影響が生涯続く恐ろしい・非人道的な兵器だとわかれば、国際法違反となります。このことは、米国の核戦略にも影響してくる話で、独自の核開発を行っている日本も追従していると言わざるを得ません。日本の御用学者たちは、低線量被曝は問題ではない、「内部被曝」は認めない、という立場にたって、日本政府を擁護しています。

 

◎「被爆体験者」から学び、ともに闘おう!

 自分たちを「被爆者」=米国が投下した原爆の被害者、と国に認定させるということは、自らが戦争の犠牲者であり、戦争を起こした権力者たちへの〝アンチ〝の意志を表す行為である、と思います。声高に〝反戦〝を叫ばずとも、原爆の犠牲になった人たちは、自らが核兵器の非人道性を、一生涯続く被爆の苦しみを身をもって晒しているのだからです。

 昨年の広島G7サミットで、あらためて「核抑止力」が確認されてしまいましたが、原爆は、「必要悪」などではありません。国を守るためには、核兵器は〝抑止力〝として必要なのだ、といって維持されている社会そのものが変わらない限り、戦争も核兵器もなくならないとわたしは思います。

 原爆の被害者である・生き証人たちは、死を迎えるまで日々苦しみを抱えながら、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ」を、自らの身体で訴えているようにわたしには思えます。

 わたしたちは、栄光と自衛のためには核を持ち、核の傘の下に入るということの意味を立ち止まって考える必要があると思います。犠牲になるのは、労働者やその家族、未来ある若者や子どもたちです。権力を持つ者たちは、戦争による痛みも悲しみも知らないし、原爆による一生涯の苦しみも知ろうとはしません。

 

 なお、今後、「内部被曝」等についても学んだことをブログに載せていきたいと思います。

                         (2024.09.28)

 

 

 

 

 

 

長崎「被爆体験者」訴訟判決の欺瞞

 79年前、長崎で米国が投下した水爆の被害に遭いながらも、国の引いた援護区域外に居たため、被爆者とは認定されない・「被爆体験者」44人(うち4人死亡)が原告となり、長崎県長崎市被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の判決が、9月9日長崎地裁でありました。

 

被爆体験者」とは? 

 1945年8月9日、米国が長崎市に投下した原爆の被害に遭ったにもかかわらず、日本政府が線引きした「被爆地域」の外で被害に遭ったため、被爆者と認定されなかった人たちのことを言います。そもそも原爆の被害者である人たちに対して、「体験者」などと国が名付けたのは、何とも恥知らずなことです。

 また、「被爆地域」の線引きは、放射性物質の降下範囲などの科学的調査によるものではなく、当時の行政区域を中心に決められたものにすぎません。国は原爆の影響を認める半径5キロメートルを基本に当時の長崎市を「被爆地域」に指定しました。「被爆体験者」はその周辺、爆心地から12キロメートル圏内の被爆未指定地域にいた人たちのことで、原爆の影響はないとされてしまっています。

 2021年に確定した広島高裁判決では、被爆地域の外で「黒い雨」に含まれた放射性微粒子による内部被ばくの可能性を認めたものでした。判決を受け入れた国は、新たな基準を作り、遠くは爆心地から40キロまで「黒い雨」が降った地域にいた6000人以上を被爆者と認めました。しかし、それは、広島に限ったことでした。

 そして、今回の長崎地裁の判決においても、「黒い雨」など原爆由来の放射性降下物が降ったと認められる一部のエリアを除く場所に居た人たちは、「被爆者」として認められませんでした。

 

被爆体験者」を分断する長崎地裁の認定

 長崎地裁は、旧古賀村・旧矢上村・旧戸石村放射性物質を含む「黒い雨」が降った可能性があるとして、この地域に住んでいた原告15人については、被爆者援護法に基づく被爆者と認定しました。

 しかし、残る29人の訴えに対しては、長崎市東部の多くの地域で観測された「灰」などは「放射性降下物質」とされず、原告のうち3分の2の29人の訴えは退かれてしまいました。17年も訴え続けているのに、なんとも悔しい限りです。この原告を分断する判決は、許せません。

 今回の判決は、「黒い雨」を重視する一方で、「被爆体験者」たちが訴えてきた「灰」や「チリ」などの放射性降下物による被害を全く認めませんでした。「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」としています。なんと呆れた判決なことか! 1945年8月9日・原爆投下後に降り注いだ「灰」や「チリ」は、どうして落ちてきたというのでしょうか。まさか2016年に広島を訪問したオバマ元大統領をまねて、〝空から落ちてきた〝というように、ファンタジーのごとく米国の人類最悪の罪を自然現象のように言いくるめたいのでしょうか。ふざけるな! 

 長崎の「被爆体験者」たちは、原爆投下後に放射性物質を含む「灰」が浮いた水を飲んだり、大気中の放射性降下物を吸い込んだり、食べるものがない中で「灰」が降った野菜などを食べたりしたとしてガンなどを発病していますが、「被爆者」と認定されることなく、救済の「対象外」とされているのです。

 「黒い雨と放射性降下物は実は同じなんですよ。上空で長崎乾燥してたので(ママ、※「長崎は乾燥していたので」?)、蒸発して放射性微粒子の状態で降ったというだけ」、と被爆体験者訴訟原告代理人の中鋪弁護士は主張していますが、全くその通りだと思います。

 

長崎の「被爆体験者」は、被爆者ではないのか!?

 長崎に原爆が投下されてから79年の2024年8月9日。毎年この日に行われている、被爆者団体から総理大臣への要望の席に、被爆者とは認められていない・国から「被爆体験者」と呼ばれている人たちが初めて出席しました。

 その席で、岸田総理は、「政府として早急に課題を合理的に解決できるよう指示をいたします」と期待を持たせることを言っただけで、「被爆者と認める」とは言いませんでした。

 総理のいう「合理的な解決」がどういうことなのかははっきりしませんが、今回の長崎地裁の判決内容に示されている、とわたしは思います。

 

被爆80年を前に、被爆地域および被爆者の拡大を押さえ込みたい日本政府

 昨年のG7広島サミットで打ち出された「広島ビジョン」においては、核兵器の削減の継続を謳う一方で、米英仏が保有する核兵器については特別扱いし、「核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争及び威圧を防止すべき」ものと核兵器を持ち続けることを正当化しています。そして、被爆地「広島」の地名を冠した文書で正当化することは「核兵器は絶対悪」と訴えてきた被爆者や被爆地の思いを踏みにじるものですが、それが日本政府の進む道なのです。

 そのようなG7の一員を担う米国の核の傘の下にいる日本政府にとって、被爆地域および被爆者が拡大してはまずいのです。

 長崎地裁判決は「黒い雨」を重視する一方で、「被爆体験者」たちが訴えてきた「灰」や「チリ」などの放射性降下物による被害を認めませんでした。「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」としています。では、いったい何だったのでしょう。

 今回の長崎地裁の判決が「灰」による被爆を認めなかったのは、米国が設定した危険水域外で操業していた第五福竜丸が、水爆によって広範囲に放射能を帯びた「死の灰」が降り注ぎ被曝した問題の政治的な決着(※米国政府は、事件の翌年の1955年、200万ドルの見舞金を支払うことで、この問題の解決を迫り、日本政府はそれを受け入れました)でお茶を濁した日米の無責任で不誠実な対応にまで遡ることを阻止する必要を感じたからではないでしょうか。長崎では、米国による水爆投下により、この「死の灰」が多量に降り注がれ被爆した人たちが、いまだに被爆者と認定されずに苦しんでいる現実があります。

 米国を気遣う・日本政府の意向に忠実な長崎地裁は、できるだけ被爆被害を少なく見せたいのではないか、と思います。また、広島市教育委員会は、日本政府の意向を汲んで、水爆実験の被爆被害の酷さを忘れさせたいがために、昨年のG7の直前に『ひろしま平和ノート』から「第五福竜丸」の記述を削除したのではないでしょうか。

 岸田総理のいう「合理的な解決」とは、「被爆体験者」たちに対しての少しばかりの救済措置はとるが、安全保障上の日米関係に亀裂を呼び起こすような原爆の恐ろしさを想起させる事象は、平和教育や平和行政から消し去る、という「解決」方法ではないでしょうか。故に、「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」などという長崎地裁判決が、まことしやかに出されてくるのです。

 つまり、日本政府は、米国による核兵器の被害を極力押し隠そうとしている、といえます。そして、原爆投下による被爆被害者が年々高齢化して亡くなっていくことを好機とし、核アレルギーを失くし、G7の一員として、〝核抑止力〝を安全保障の前面に押し出すことを狙っているのではないか、とわたしは思います。

                             (2024.09.11)

 

「大川原化工機冤罪事件」の深層を探る     ――裁判所の犯罪を暴く

★★★大川原化工機国賠訴訟の「判決」に記載のない裁判所の罪

 

 CALL4のサイトに第1審の『判決要旨』(A4、9ページ)が公開されているので、参考にしました。全文ではないので、詳細は分かりませんが、わたしが一番知りたかったことは、コンパクトにまとめられていました。以下、引用します。

 

 「亡相嶋の慰謝料については、体調に異変があった際、直ちに医療機関を受診できないなどの制約を受けるだけでなく、勾留執行停止という不安定な立場の中で治療を余儀なくされていていたことも考慮した。」

 「また、原告〇〇〇らの慰謝料については、夫であり父である亡相嶋との最期を平穏に過ごすという機会を被告らの違法行為により奪われたことも考慮した。」(※以上、『判決要旨』p.9より)

 

 この「判決理由」は、いったい何なのだ! 原告たちの悲しみや苦痛を逆なでし、まるで愚弄するかのような上からの言い様に思えます。相嶋さんを「直ちに医療機関を受診できないなどの制約を受ける」状態にしたのは、進行性の胃癌を発症したことがわかっていても8回もの保釈申請を却下し続けた令状担当の裁判官の所業ではないか! 「勾留執行停止という不安定な立場の中で治療を余儀なくされていた」のは、裁量保釈もせずに「勾留執行停止」のみを認めた同裁判官の所業ゆえではないのか! そして、そのことを〝上層部〝は、「経済安保」を背景にして、許可しているのです。保釈申請の却下にしろ、勾留執行停止にしろ、それは、裁判官個人の判断にとどまらず、組織の判断になっているのです。

 相嶋さんの遺族が「夫であり父である亡相嶋との最期を平穏に過ごすという機会」を「奪われた」のは、被告(警視庁公安部および東京地検)らの違法行為によるものと、「判決」は、保釈申請を却下し続けた東京地裁の過失に対する責任回避をするために、相嶋さんを被告のまま死に追いやったすべての責任を、被告である警視庁公安部および東京地検に押し付けています。

 本来逮捕の対象などではなく、外為法違反などしていない無実の人を社長や島田さんとともに1年近くも勾留し、自白を強要し、勾留中に発症した癌の適切な治療を受けさせないで、被告のまま死に追いやったことへの人間的な自責の念を持ち合わせていないのが、警視庁公安部および東京地検であり、そして東京地裁であることがよくわかります。「人質司法」においては、そのために人が死のうが関係ない、ということなのでしょう。酷すぎます!

 

 📝国賠訴訟判決直後の記者会見の場で、相嶋さんの長男は、次のように怒りを顕わにして述べていました。

 「癌とわかったあとの人生の過ごし方が、非常に(父の)尊厳を踏みにじられた。おそらくわたしたち人間の中では、最悪な形での最期を迎えてしまった。最期を平穏に過ごすことができなかった最大の要因は、保釈を認めなかった裁判官だと思う。」**********

 

★★「起訴の取り消し」に深く触れない「判決」

 

 警視庁公安部も東京地検東京地裁も、「起訴の取り消し」ということの重大さに気付いていないかのようにふるまっています。刑事裁判がなくなったから、はい終わり、では済まないのです。公安警察が警視総監のお墨付きをもらって会社役員3人を逮捕し、起訴担当の検事が、起訴ができる証拠がないのにもかかわらず、そもそも経産省の省令の「殺菌」の解釈が国際ルールと違っていても、「経済安保」を背景に、「犯罪」を捏造し、起訴を行ったのです。その後、別の公判担当の検事が「立証できない」として「起訴の取り消し」を申請した時、一時は、上層部もヒヤッとしたことでしょう。けれど、公判担当の検事による前代未聞の「起訴の取り消し」申請を上司が決裁したのは、ある思惑があったからではないか、とわたしは考えるのです。当時、「経済安保法」制定のための動きがあり、「大川原化工機事件」が、経済界の不満を抑えるために十分な働きを果たせた、と国家安全保障会議NSC)あたりが考えていたからなのではないか、とわたしは思うのです。2020年4月1日、NSCの事務局である国家安全保障局(NSS)内に経済分野を専門とする「経済班」が発足しました。大川原社長ら3人の役員が逮捕されてから、1ヵ月も立たない頃です。この「経済班」は、経済産業省出身の審議官と総務、外務、財務、警察の各省庁出身の参事官ら約20人体制で、民間の先端技術を軍事力に生かす中国の軍民融合政策をにらみ、経済と外交・安全保障が絡む問題の司令塔となります。

 起訴は断念したとしても、「大川原化工機事件」は、中国への輸出規制に不満を抱く経済界に、中国なんかに輸出をする企業はとんでもないことになるぞ、という国家意志を拒否するとどんな目に遭うかということを現実に示して見せた、という効果があったのではないか、とわたしはと思うのです。

 

逮捕と起訴は「国賠法上違法」と判断! しかし……「捏造」および「経産省の省令のあいまいさが公安部の独自解釈を許したこと」には触れず!

 

 大川原化工機国賠訴訟の判決(2023年12月27日)が、逮捕の違法性に加え、起訴の違法性も認めた、と大きく報じられた。また、国(検察)と都(警視庁公安部)に対する賠償命令額が異例に高い、とも。多くのメディアは、かつて、2020年3月11日に大川原化工機の社長ら3人の役員が逮捕された際に、警視庁公安部が流した情報を鵜呑みにして、まるで3人を犯人扱いして報道したことには頬被りして、「判決」内容を評価する報道をしています。

 けれど、「国賠法上違法」という判決の理由は、いったいどのようなものなのでしょうか? 

 ▲警視庁公安部による3人の逮捕については「必要な捜査を尽くさなかった」、ということが「国賠法上違法」の理由になっています。「必要な捜査」というのは、亡くなった相嶋さんや複数の従業員が指摘していたとおり、再度温度測定を行う、ということです。そうすれば、問題にされた「噴霧乾燥器の測定口の箇所対象となる細菌を殺菌する温度に至らないことは容易に明らかにできた」からです。その確認は、外為法違反の嫌疑の有無を見極める上で、当然にも「必要な捜査」だったということです。実験をしていれば殺菌できないことは容易に明らかになったのに、これをせずに逮捕したことは「国賠法上違法」、と東京地裁は判断したのです。

 ▲東京地検の起訴をした検察官に対しても、起訴前に同様の報告を受けており、この供述を踏まえて再度の温度測定を行っていれば、「本件各噴霧乾燥器の一部の箇所の細菌を死滅させるに至らないことは容易に把握できた」と指摘しています。勾留請求や起訴は、「検察官が必要な捜査を尽くすことなく行われたものであり」、「国賠法上違法」である、と判断しました。

 しかし、逮捕・起訴・勾留が違法であるという東京地裁の判断は、警視庁公安部も検察も「必要な捜査を尽くさなかった」ということが「国賠法上違法」である、ということなのです。それだけです。ナント! 判決は、〝捜査不足〝ということの問題、と限定してしまっているように思います。

 公安部や検察の「国賠法上違法」の理由を〝捜査不足〝に限定している、ということは、そこまでは下級裁判所である東京地裁が「違法」とすることを最高裁も許している、ということではないでしょうか。しかし、ほかのことは、「違法」とはしないことを〝忖度〝しているのではないでしょうか。

 ☞昨2023年6月30日の証人尋問の際に「捏造ですね」と捜査担当の警部補が仰天発言をしましたが、「判決」は、そのことにはまったく触れていません。警視庁公安部、検察、裁判所らが謝罪をしないのは、そのことを認めたくないからでしょう。認めたら、彼らの威信や信頼性はぶっ飛んでしまうからです。

 ☞また、「判決理由」では、生物化学兵器の拡散を防止することを目的とするオーストラリア・グループにおける国際的に合意された「殺菌」の定義を経産省が明確にせず、あいまいにしたことにつけ入り、公安部が〝独自解釈〝(捜査関係解釈)をして立件しようとしたことについては、東京地裁は「国賠法上違法ということはできない」としています。

 そして、検察が、この公安部の〝独自解釈〝を採用し、勾留請求および延長請求、起訴をしたことについても同様に「国賠法上違法ということはできない」としています。

☞さらに、「噴霧乾燥器の最低温度箇所の特定についても、粉体実験をしなかったことについても」「国賠法上違法ということはできない」と、法文解釈の問題にすり替えているのです。

 以上のことを考えるに、これら「国賠法上違法ということはできない」としていることは、イ)事件は「捏造」であるということの否定と、ロ)経産省の問題――すなわち、国際上合意されたルールを誤訳し、「殺菌」の定義を明らかにしないで通知した省令の不備を突かれて公安部の〝独自解釈〝を許し、それを根拠にした大川原化工機のガサ入れや逮捕を許す原因をつくったことなど――を不問に伏すことを狙ったためではないか、とわたしは思います。

 しかし、この一連の事態に対する東京地裁の判断は、「保釈申請を却下」し続けた裁判所の行為そのものを不問に伏すことを狙っているのではないか、とわたしは思います。

 

追記

島田さんに対する取り調べの違法性について

 

 ▲元役員の島田さんに対して、公安部の警部補が、「本件要件ハの『殺菌』の解釈をあえて誤解させた上、本件各噴霧乾燥器が本件要件ハの『殺菌』できる性能を持っていることを認める趣旨の供述調書に署名押印仕向けた」とし、「偽計を用いた取り調べである」として、「国賠法上違法」であると認めました。

 ▲そして、同公安部の警部補は、島田さんの弁解録取書を作成するにあたり、島田さんの指摘に沿って修正したかのように装い、島田さんが発言していない内容を記載した弁解録取書を作成し、署名指印させました。これを、「判決理由」では、島田さんを「欺罔」した、と指弾し、このような供述証書の作成は「国賠法上違法」である、としました。

 しかし、このような違法な取り調べは氷山の一角にすぎず、今回のような供述調書のでっち上げを可能にする「人質司法」なども、日常的に行われていることだ、とわたしは思います。

 

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「大川原化工機冤罪事件」の概要については、当ブログ「大川原化工機事件――『事件』は捏造された!」(2024.06.23.)を参照してください。

「大川原化工機冤罪事件」の深層を探る     ――公安警察と検察の犯罪を暴く

初公判の4日前に〝起訴取り消し〝 ★★★

 生物兵器生産に転用可能な噴霧乾燥機を中国に輸出したとして、大川原化工機の社長ら幹部3人が外為法違反で逮捕・起訴され、1年近く勾留されました。その後、初公判の直前になって起訴を行った人とは別の検察官が〝起訴取り消し〝を申し立てました。裁判所は公訴棄却の決定を行い、これによって、刑事裁判は打ち切りとなりました。

 ほぼ100%に近い有罪率を誇る検察が、1年近くの勾留中に3人から公安の作成したストーリーに合う有利な「自白」も取れず、「法規制に該当することの立証が困難と判断された」、という理由で〝起訴取り消し〝を行ったのです。もちろん弁解間がましい謝罪のことばなどありません。

 

 冗談じゃないよ! 無実の3人があらゆる悪辣な方法を駆使されて「自白を強要」され、自白しなければ保釈を認められないという・いわゆる「人質司法」の罠に突き落とされていました。3人のうち相嶋さんは、進行性の胃がんが見つかったのにもかかわらず保釈が却下され続け、無実を証明する公判に立つこともなく亡くなりました。公安部の捜査員・検察官・裁判官たちは、取り返しのつかないことをしでかしたのです。許せない!!

 問題にされた噴霧乾燥機の設計者である相嶋さんが『被疑者ノート』に書いた「〝すべて黙秘する。負けるな!〝」の文字が放映されたのを見て、わたしは悔しくて、唇を嚙みながら拳を皮膚に食い込むまで握りしめました。

 検察官が〝起訴取り消し〝を伝達した日(2021年7月30日)は、公判前整理手続きによって、弁護側からの証拠開示請求に対して検察官が公安部と経産省とのやり取りを記した大量の捜査メモを、東京地裁に提出する期限日でした。公開されては相当まずいことが書かれていたことは、容易に見抜けます。

 これは、「捏造」とか「人質司法」とかの表現では収まりきらない、権力犯罪そのものであるとわたしは思います。この犯罪には、警視庁公安部、東京地検東京地裁経産省などすべてが関わっています。「法規制に該当することの立証が困難と判断された」、だからもう終わったのだ、と平然と済まされる問題ではないのです。

 

国家損害賠償訴訟を提起!

 公訴棄却から約1月後の2021年9月8日、大川原社長・島田さん・相嶋さんの遺族たちは、東京都と国に対し、警視庁公安部による逮捕、検察官による起訴などが違法であるとして、保釈請求が通らなかったことの真相解明と名誉回復を求めて損害賠償請求訴訟を提起しました。

 

証人尋問での証言

⦿経産省の役人の発言 

 公判中の証人尋問では、警察では内部事情を明かす証言が出た一方で、経産省の役人2人は、警察との間で見解の相違(経産省の担当が、当初の打ち合わせで、何度も「大川原化工機の製品は規制の対象ではない」と公安部の捜査員に伝えたこと)があった経緯も否定していたそうです。自己保身も甚だしい!

 大川原化工機の社長ら3人は、外為法違反で逮捕・起訴されましたが、もし本当に違反をしたのならば、経産省は事業者に資料を提出させて事後審査をやり、違反の事実が判明した場合は指導・処分をおこない、そうでない場合にも再発防止策を策定させることが必要なのです。しかし、そんなことは経産省はやっていないのです。つまり、「外為法違反」などないので、なにもやっていない、ということが暴露されたわけです。

⦿2人の警部補からの爆弾発言

 直接捜査に参加していた2人の警部補らからは、警察での内部事情を明かす証言が出ました。濱崎警部補は「まぁ、捏造ですね」、と証言。また、「立件しなければいけないような客観的な事実はなかった」、とそもそも「事件」などなかった、ということを意味する証言をしました。

 同じく捜査に当たった時友警部補は、「従業員が『温度が低くなる』と言っている。もう一度測ったほうがいいのでは」と宮園警部(その後、警視に昇進)に進言したが、宮園警部が「事件を潰す気か」と聞き入れなかったことを法廷で証言しています。

 注目すべきは、報道では、「捏造ですね」がデカ写しにされていますが、この2人の証言には、検察官が公開したがらなかった「捜査メモ」の内容が含まれていたことを高田弁護士が語っています。

⦿起訴を行った塚部検事の証言

 「起訴の判断に間違いがあったと思っていないので、謝罪の気持ちはありません」と言い切りました。

 自らが公安部の言いなりに起訴をした結果、優秀な技術をもつ大川原化工機が倒産寸前にまで追い込まれ、信念を曲げずに無実を訴え続けた3人の幹部、そしてそのうちの技術者で顧問だった人を死に追い込んだそのことに何の責任も微塵の後悔もない、なんと傲慢な言いぐさでしょうか! 

 しかし、塚部検事は、ひとりで勝手に起訴・拘留を決定したわけではなく、直属の上司の決裁をもらって実行しています。そのことは、そこに高度な技術諸形態である「噴霧乾燥機」を経済安保の「適性国」である中国に輸出したとして大川原化工機を何としてでも外為法違反で有罪にするということが、国家意志としてあったのではないかと思うのです。

 ゆえに、起訴された会社が倒産寸前に追い込まれようと、起訴された会社幹部たちの中で死者が出ようとも、何の問題でもないのです。「国家意志」なのですから、それが〝正義〝なのですから。(つづく)