ヒノキの森の案内人のページ

『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

「袴田事件」の冤罪の深層を探る

🍁本題に入る前に、いわゆる「袴田事件」の簡単なまとめを行います。

☞今から58年前の1966年6月、静岡県清水市で味噌製造会社の専務の自宅が全焼し、焼け跡から一家4人の遺体が発見されました。4人は、刃物でめった刺しにされたていました。事件から2か月後、従業員で、元プロボクサーの袴田さんが強盗殺人・放火事件の容疑で逮捕されました。当初、袴田さんは犯行を否認していましたが、連日にわたり長時間の拷問による取り調べの結果、虚偽の「自白」を強いられてしまいました。

 この拷問による取り調べついては、袴田事件弁護団のホームページでリアルに紹介しているので、長くなりますが引用したいと思います。

▶8月の猛暑の中、日曜日も休まず1日平均約12時間、長い日は16時間50分もの取り調べが行なわれました。この間、疲労と睡眠不足、水も与えずそしてトイレにも行かせないで、取調室に便器を持ち込んで、捜査員の目の前で用を足させるのです。時には暴力をふるって精神的・肉体的拷問が繰り返されたのです。

 

「『殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ』と言っておどし、罵声をあびせ棍棒でなぐった。そして、連日2人1組になり3人1組のときもあった。午前、午後、晩から11時、引き続いて午前2時頃まで交替で蹴ったり、殴った。それが取り調べであった。目的は、殺人・放火等犯罪行為をなしていないのにもかかわらず、なしたという調書をデッチ上げるためだ。9月上旬であった。私は意識を失って卒倒し、意識をとりもどすと、留置場の汗臭い布団の上であった。おかしなことに足の指先と手の指先が鋭利なもので突き刺されたような感じであった。取調官がピンで突いて意識を取り戻させようとしたものに違いない」(袴田巌さんの手紙より)。

 

☞第一審の静岡地裁は、小さなシミのようなものの付いた袴田さんのパジャマを物的証拠とし、提出された45通の「供述調書」の中で検察官が書いた1通のみを任意性のある〝証拠〝として採用し、公判を進めました。公判では、袴田さんは、非人道的な取り調べの状況の中で「自白」を強要されたことを明らかにし、無実を訴え続けました。

☞ここで驚くことに、事件から1年2月経ったころ、捜査員が徹底的に調べたはずの味噌タンクから血痕が付着した「5点の衣類」が発見されたと称し、これまた袴田さんの生家からその「衣類」のうちのズボンの「切れ端」が発見されたと称し、検察は、パジャマに替えて、「自白調書」には書かれていない・その発見された血痕の付着した「5点の衣類」を新たな物的証拠として地裁に提出しました。5点の衣類とは、鉄紺色のズボン、鼠色のスポーツシャツ、白色半袖シャツ、白色ステテコ、緑色ブリーフです。地裁は、この「5点の血染めの衣類」と袴田さんの生家から発見されたとするズボンの「切れ端」を袴田さんのものと認め、有罪の証拠として、〝死刑〝判決を言い渡したのです。

☞この判決は上告しても覆ることはなく、1980年11月19日に最高裁が上告棄却し〝死刑〝が確定しました。

☞1981年4月20日に申し立てた第1次再審請求は、2008年3月24日、最高裁が特別抗告を棄却して終了しました。

☞2008年4月25日、弁護団は、第2次再審請求を静岡地裁に申し立てました。

☞2014年3月27日、静岡地裁は、第2次再審請求について、再審を開始し、死刑および拘置の執行を停止する決定を行い、同日、袴田さんは死刑囚のままで釈放されました。

☞しかし、検察官が即時抗告し、2018年6月11日、東京高裁は死刑および拘置の執行停止はそのままに、再審開始決定のみ取り消し、弁護側が特別抗告しました。

☞2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしました。検察官が特別抗告をしなかったので、再審開始決定が確定しました。

☞裁判のやり直しを行う再審公判は、静岡地裁で計15回行われ、検察は死刑を求刑、弁護団は無罪を主張して結審しました。

 2024年9月26日、静岡地裁は袴田さんに再審無罪判決を言い渡し、10月9日に検察官が上告を放棄したことにより、無罪が確定しました。

 

1 袴田巌さんの再審無罪判決が確定!

 「被告人は無罪」と、静岡地裁は9月26日、いわゆる「袴田事件」の第2次再審判決公判で言い渡しました。

 死刑執行の恐怖と50年近い拘留のために今もなお「拘禁症状」と闘う袴田巌さんは、法廷でこの主文を受け止めることはできませんでした。代理出廷した、巌さんの補佐人である姉・ひで子さんは、この主文を聞いて涙が止まることがありませんでした。

 しかし、そもそも袴田さんは、事件当時の1966年からこの日までの58年間、ずっと無実だったのです。それを思うと、警察と司法(検察・裁判所死刑および拘置の執行を停止)の犯した国家的犯罪に対して、怒りがフツフツとわいてきます。無罪判決は、当然すぎることだと思います。万が一死刑が執行されていたら、と思うとそれこそ取り返しがつかないことであり、恐ろしさに身が震えます。

 

静岡地裁の判決のポイント

◎捜査機関による三つの捏造

(1)味噌漬けの衣類に残る血痕の赤みについて

 警察と弁護側の双方の実験結果だけからは、血痕の赤みが残らないとは言いきれない。しかし、発見当時の乾燥や酸素濃度は、血痕の赤みを消す⇒赤みは、「残らない」と判断しました。

 また、凶器などが現場に残されているのにもかかわらず、犯行着衣だけを持ち出して、工場内に「隠匿すること自体、不自然で不合理な行動」「袴田さんの有罪を確信していた捜査機関にとって無罪になることが」「とうてい許容できない事態であったことが優に認められる」として、捜査機関による捏造である、としました。

(2)ズボンの切れ端

 このズボンは、「5点の衣類」のひとつで、この「切れ端」について、発見報告書では、袴田さんの実家で発見されたとしているが、母親が「巌のもので、葬儀で使ったものではないかね」と供述をした旨の記載がありました。これが、過去の裁判官らに有罪の心証を与えたというのがあります。袴田さんの母親が語ったとされることについて地裁は、「宣誓も偽証罪の制約もなく証拠の信用性を判断することは困難」としたうえで、発見報告書で「5点の衣類」のズボンと〔同一生地同一色〕とされていることについて、時系列から見ても「味噌などに濡れて固くなった状態のズボンと乾燥した切れ端が同一生地同一色と認めることははなはだ困難」であり、切れ端が押収された経緯などは、「捜査機関による持ち込みなどの方法によって実家に持ち込まれた後に」「押収されたものと考えなければ説明が極めて困難」、としました。

(3)取調べ調書

 任意出頭から自白までの19日間、夜中または深夜に渡るまで1日平均およそ12時間の取り調べを受けたもので、「虚偽自白を誘発する恐れの極めて高い状況下」で「肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べによるもの」で、「実質的に捏造されたもの」としました。

 

2 控訴断念を発表した検察――検事総長の談話を発表した意図は?

 その後、検察は控訴期限の2日前(10月8日)に、控訴を断念することを発表しました。しかし、同日、判決内容について「とうてい承服できない」と不満を顕わに、異例の畝本直美検事総長の談話を発表しました。その内容は、談話の半分は判決への不満でした。

 「談話」では、控訴しない理由について「袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。」としています。

 冗談じゃない! これは、まさに、検察上層部の居直りでしかない! 無実の人間を〝死刑〝にして、50年近くも勾留してきたという権力犯罪である、ということの自覚の一欠けらもありはしない!

▼「相当な長期間にわたり」とは、どういうこと?

 おかしいよね、検察が不服申し立てをしたからじゃないの? そして、「証拠開示」を遅らせたからじゃないのか?

▼「法的地位が不安定」とは、どういうこと?

 袴田さんを犯人であるとできない疑いが十分あるとして再審が決定されたり、取り消されたりして、長年にわたって犯人でない可能性を含んだ死刑囚であったことが挙げられます。

 また、第一審で判決文を書いた裁判官が、「無罪の心象だった」と告白したことも、「法的地位の不安定」さを生んだ要素のひとつであると言えます。

 再審がもっと早く行われていたら控訴したかの記者からの質問に、関係幹部は、「今起きた事件でこの判決文だったら、控訴する」と答えたそうです。

 しかも、「改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり」と、実は袴田さんが犯人であることに確信を持っている、と言っているのです。つまり、袴田さんは静岡地裁無罪を言い渡されたが、けして無実ではないのだ、と言いたいのです。あくまでも、犯人は袴田さんでなければならない、と99.9%の有罪率を誇る検察の「名誉」にかけて、そう押し出しているだけです。

 また、「本判決が『5点の衣類』を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」と抗議の姿勢を顕わにしています。そのうえ、「検察官もそれを承知で関与していた」という、冤罪を作り出した張本人にされていることに対して、「何ら具体的な証拠や根拠が示されていません」と、真っ向から否定し、闘争心をむき出しにしています。検察全体での悔しさがにじみ出ているように思います。有罪を立証する「証拠」は、検察の聖域であり、そこを地裁にグシャグシャにプライドを踏みつけられたことへの怒りと、検察現場の士気が下がることへの喝入れの様にも思えます。

 とにもかくにも、控訴するだけの有罪にする確固たる証拠がない! (証拠を捏造したのだから、当然であろう!) だから控訴を断念します、なんて検察の立場から今さら言えないので、最高検で検討した結果、こんな検事総長談話なんか出してきたように思います。

 

こういうことですから、「絶対に間違わない」検察ですから、当然、袴田さんへの謝罪はありません。冤罪で、しかも死刑が確定している人の胸の内なんて、およそ考えないのでしょう。

 

👇検事総長の談話【全文】

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241008/k10014604621000.html#anchor-02

 

3 検事総長の談話に寄り添う・法務大臣の判決の受け止め

 一方、牧原法務大臣は、10月11日の定例会見で、「相当の長期間にわたって袴田さんが法的に不安定な地位に置かれたという状況については大変申し訳ない気持ちだ」と検事総長の談話をコピペするような表現で「謝罪」の意を示しました。しかも、検事総長の談話が袴田さんを犯人視しているとの弁護団などの批判については、「検察は無罪を受け入れている。不控訴の判断理由を説明する必要な範囲で、判決内容の一部に言及したものと承知している。そうした意見は当たらない」、として検事総長を擁護しています。

 袴田さんの弁護団検事総長の談話に対して抗議声明を出したのは、検察として控訴を断念して無罪判決を受け入れているのにもかかわらず、検事総長として「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます」などと、控訴断念と矛盾する意味のことを発言し、検察の公式見解として公表しているからです。

 

 さてもさても、司法の権力者たちは、警察・検察・裁判所によって作り出した冤罪=国家権力の犯罪によって、無辜の人間が死刑執行のどす黒い影におびえて娑婆に出ても生きた心地のしない毎日を送っていた袴田さんに対する罪の意識は全く無いようです。まったく許しがたいことです。

 

4 警察の判決に対する姿勢

 おまけとして、静岡県警本部の談話について、少々述べます。

(1)検事総長の談話について、「判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴すべき内容である」が、「袴田さんが、長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことを考慮した結果、控訴してその状況が継続することは相当でないとの判断に至った」、とまとめています。

(2)「当時捜査を担当した静岡県警察としても、袴田さんが長きにわたって法的地位が不安定な状況に置かれてきたことについて、申し訳なく思っております。」

(3)「最高検察庁において、本件の再審請求手続が長期間に及んだことなどについて所用の検証を行う予定である」が、「静岡県警察においても、可能な範囲で改めて事実確認を行い、今後の教訓とする事項があればしっかりと受け止め、より一層緻密かつ適正な捜査を推進してまいります。」

 

 静岡県警は、静岡地裁に、証拠を捏造したことを認められたのにもかかわらず、「正義の警察が、証拠の捏造をするなんていうことがあるわけないじゃないか」と反論することもせずに、しれーっとそのことには触れないで済まそうとしています。

 静岡県警は、事件当初から、土地の人間ではなく、元プロボクサーの袴田さんを犯人であると決めつけ、非人道的な取り調べにより虚偽の「自白」を獲得し、その「自白」内容を裏付ける証拠を捏造しました。そして、その作られた「証拠」を基に検察が起訴を行い、最高裁で〝死刑〝が確定したのです。そのことにより、袴田さんは、今でも「拘禁症状」が融けないままでいるのです。

 他方、58年前に一家4人を惨殺した真犯人は、のうのうと何食わぬ様子で社会生活を送っているのです。静岡地裁が「犯人であるとは認められない」と判断したということは、地裁が真犯人は他にいる、ということを突き出したことになります。このことについて静岡県警は、どう応えるのでしょうか? 今、はっきり言えることは、警察は、真犯人を逃がした! ということです。なんと、恐ろしい!

 

5 「冤罪」の本質とは何か?

 「冤罪」の法的規定は、ありません。

 しかし、こんな規定が定まっていないことばを使ったところで、要は、警察・検査・裁判所が真犯人を逃がし、無実の人を犯人に仕立て上げ、そのために証拠を捏造し、証人をでっち上げ、罪を押し付けた、ということです。これは、文字通り権力の犯罪です。

 袴田さんは、一度死刑が確定されてしまったのです。もしも、執行されていたら、その責任は、警察・検察・裁判所、そして警察情報に疑問を持たずに独自調査もなく鵜呑みにして報道したマスコミにあると思いますが、死んでしまったら、誰も責任は獲れません。このような不条理なことが、延々と引き継がれ今も続いています。許せないことです。

 袴田さんは、再審無罪が確定しましたが、しかし一生の大半は国家権力によってズタズタにされ、いまだに「拘禁症状」が回復していません。

 わたしは、このような権力犯罪を許さない立場から、今後もブログに意見を載せたいと思っています。