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『資本論』に学びながら、世の中の矛盾について考えたことをつづっていきます。

 長崎「被爆体験者」訴訟の深層

 今年9月21日、岸田首相は、長崎「被爆体験者」訴訟の原告のうち15人を「被爆者」と認めた長崎地裁の判決(9月9日)に対して、なんと〝控訴〝すると表明しました。他方、〝救済策〝として医療費の助成を≪被爆者と同等≫とする、という欺瞞的な政治的「解決策」を示したのです。

 当然にも原告側は、長崎地裁が「被爆者」と認めた15人をも切り捨てる・国による〝控訴〝について、「(合理的な)解決にならない!」と猛反発しました。原告団長の岩永さんは、記者会見の場で救済策について、「そんなものいりません」ときっぱりと切り捨てました。平均年齢85才を超える現在まで20年以上、法廷の内外で闘い続けてきた長崎の「被爆体験者」たち。その闘いの根っこにあるのは、「被爆者」と認められることです。

 国に「被爆者」と認めさせるということは、米国による原爆投下後に、「死の灰」や「黒い雨」、チリなどの放射性微粒子を含んだ降下物が降り注いだ環境で何も知らずに生活していたために、その後亡くなったり、今もなお生きている限り病気に苦しんでいる――そのような現実を無かったことにさせない、ということです。原爆による放射線に直接当たろうが、放射性微粒子を含んだ降下物を浴びようが、どこに居ようが、原爆により被爆したという事実に何ら変わりはないではないか、差別するな、ということを国に突きつけているのです。

 そのことは、しかし、米国の核の傘の下にあり「核抑止力」を必要とする日本政府にとっては、絶対に認めたくないことに違いありません。

 8月9日に首相が「被爆体験者」と交わした「合理的な解決策を調整する」という〝約束〝は、「被爆体験者」たちの「被爆者」と認めてくれるのではないかという希望を、はかなくも打ち砕きました。

 けれど、「被爆体験者」たちは決して諦めません。団長の岩永さんは、記者会見で、次のように語っていました。「死ぬまで闘います。」「私が欲しいのは、内部被曝を否定できないという判決文。その判決を勝ち取り、内部被爆の怖さを国内外に広め、『核兵器廃絶』に向けて少しでも役に立てればと思っています。」この岩永さんのことばは、「核兵器廃絶」への思い、「福島第一原発事故による内部被曝」に抗議している人々を勇気づけています。

 わたしは、彼らの闘いに学びながら、この「被爆体験者」訴訟の深層を探っていきたいと考えています。

 

**目 次**

1 被爆体験者」との〝約束〝――その政治的な解決の欺瞞

2 国に屈服した長崎県長崎市

3 広島高裁判決の意味するもの

 イ 「被爆体験者」たちが希望をもった広島高裁判決

 ロ 「内閣総理大臣談話」の持つ意味

 ハ 「被爆者」認定の「新基準」の反動性

 ニ 国が無視する「内部被曝」の現実

4 今も引き継がれるファーレル准将の声明

◎「被爆体験者」から学び、ともに闘おう!

 

 

1 「被爆体験者」との〝約束〝――その政治的な解決の欺瞞

 岸田首相は今年の8月9日、長崎市での平和祈念式典参列後に「被爆体験者」と面会しました。当日首相と握手を交わした第二次全国被爆体験者協議会・岩永千代子会長は、首相の手を握りながら「内部被曝をぜひ世界に発信して、核の被害が二度と起こらないように…」と言いました。それには応えずに首相は、「早急に課題を合理的に解決できるよう」に努めると約束しました。

 その1ヵ月後の9月9日、長崎地裁は、原告44人のうち「黒い雨」にあったと認められるとした15人を「被爆者」と認定しました。

▽爆心地から半径12キロ以内に住んでいた人を対象に行われた過去の調査で、雨が降ったという証言が相当数あったこと

▽当時の風の向きや強さなどをふまえ、「被爆者と認められる地域に指定されていない今の長崎市の東側の一部でも、いわゆる『黒い雨』が降った事実が認められ、この地域では、原爆由来の放射性物質が降った相当程度の可能性がある」と指摘したのです。

 しかし、一方で、この地域以外に住んでいた原告については、「放射性物質が降った事実や可能性は認められない」として訴えを退けました。

 この長崎地裁の判決で注目すべきことは、2021年の広島高裁判決後に制定され・2022年4月から運用された・「被爆者」認定の「新基準」を適用した判決である、ということです。すなわち、放射線によって健康被害を受ける可能性が否定できなければ、被爆者と認めるという判断をした広島高裁の判決内容を否定することを目した「新基準」に従って、「被爆者と認めるには、合理的な根拠や一定の科学的根拠が必要である」としたのです。そのために、原告29人の訴えは退かれたのです。
 さて、この長崎地裁判決後の9月21日、岸田首相は、司法判断の根拠に対する考え方が、「被爆体験者」が敗訴確定した最高裁判決と今回の長崎地裁の判決内容とは異なるとして、「上級審の判断を仰ぐべく、控訴せざるを得ない」と表明し、そのことを当日面会した長崎県知事と長崎市長に伝えました。

 2016年、長崎地裁年間積算被ばく線量が25ミリシーベルト以上の場合は健康被害が出る可能性があるという独自の判断を示し、原告のうち10人を、初めて「被爆体験者」を「被爆者」と認めました。しかし、2019年福岡高裁は、「年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝によって健康被害が生じる可能性があるとする科学的知見は確立していない」として長崎地裁判決を取り消し、原告全員の訴えを退け、最高裁判決が確定しました。

 つまり、首相は、せっかく最高裁で「被爆体験者」たちの訴えを却下し、「被爆者」認定をしなかったのにもかかわらず、それで終わりかと思ったら、長崎地裁が原告の一部・15人を「被爆者」と認定したことに怒り、最高裁で「被爆体験者」は完全敗訴しただろうにと一蹴し、法的決着をもって再度全員の訴えを退けようとしているのです。

 一方で、首相は、原告のみならず全ての「被爆体験者」とされる約6300人への医療費助成を《被爆者と同等》とする方針を示しました。「被爆体験者」に課せられていた・「被爆体験者」支援の要件である精神科への受診は撤廃とするなど、「被爆体験者」が受けられる支援は大きく広がることをアピールしました。つまり、この問題をこれで終わりにしようと、〔金を払ってやるから、もう騒ぐな〕とでも言っているかのようです。

 そもそも8月9日の面会時のことをよく思い出してみれば、当日も岸田首相は、〔「被爆体験者」を「被爆者」と認定する〕とは、ひと言も言いませんでした。首相の「合理的な解決」という「被爆体験者」との〝約束〝の果たし方は、最初から決まっていたのです。国の書いたシナリオどおりの酷い話です。

 現地では「皆に支援が行き渡る」と評価する声が上がる一方で、訴訟で「被爆者」認定を求めてきた原告からは「同じ原爆に遭っているのになぜ被爆者としないのか」との批判が相次ぎました。もっともな言い分です!

 原告団長の岩永さんは、首相が打ち出した≪被爆者と同等≫の医療費助成についても「論外です。医療費の助成などのお金がほしいのではなく、被爆者だと認めてほしかった。この苦しみが原爆によるものだと認めて欲しい」(下線は筆者)と語気を強めていました。さらに岩永さんは、国による長崎地裁が「被爆者」と認めた15人をも切り捨てる〝控訴〝について、「『合理的な解決』とはまったく不釣り合いだ」と批判し、こちらも〝控訴する〝と、さらに闘う姿勢を貫いています。

 

📝被爆体験者」の証言は認めず! という厚生労働省の姿勢

 被爆体験者」につて、厚労省は、科学的根拠が乏しいのにもかかわらず「放射線の影響はない」という考え方で、被爆体験による心的外傷後ストレス障害PTSD)などの精神疾患や関連症状、※胃がんや大腸がんなど7種類のがん(2023年4月より)を医療費助成の対象としています。※7種類のがんへの「医療費補助」は、精神疾患に伴って発症し、医療費補助の対象になっている「合併症」と「発がん性」の関連を研究する事業の一環で、研究協力への対価として医療費を支払うというものです。つまり、放射能の影響により発症したがんへの救済、ということではないのです。

 さて、武見厚労相は9日の長崎地裁判決を不服とし控訴する理由の一つとして、長埼地裁判決が一部地域=旧3村に黒い雨が降ったと事実認定したことをめぐり、訴訟で採用された証拠は「バイアス(偏見)が介在している可能性が否定できない」として先行訴訟では採用されなかった点をあげました。

 原爆投下直後のいわゆる「黒い雨」をめぐっては、国は、広島では被爆地域の外にいた人でも、「黒い雨」を浴びた可能性が否定できない場合などは被爆者と認定する基準を設けていますが、長崎では、よく調べもせずに客観的な記録がないなどとして雨が降ったことを否定する見解を示しています。
 これについて、厚労省は、昨年7月に長崎原爆死没者追悼平和記念館が所蔵するデータ化された被曝体験記を調査し、放射性物質を含む「黒い雨」や「死の灰」などについて調べていましたが、抽出した3744件のうち雨に関する41件、飛散物に関する記述159件を確認しました。

 しかし、この内容を評価した防疫学、放射線疫学などの御用学者たちは、「それぞれの思いを記述したもので、データとしては信頼性に乏しい」とか「被爆体験から執筆までに記憶が修正された可能性がある」などと、とんでもないことを言っています。厚労省は、この御用学者たちのでたらめな「意見」を踏まえ、「降雨などを客観的事実としてとらえることはできなかった」と結論付けたのです。

 しかし、今でも、土壌にはプルトニウムからの生成物が残っており、放射線を出し続けています。

 厚労省の結論づけたことから透けて見えるのは、被爆体験者の実体験――「黒く墨のような雨が口の中に入った」、「晴天で明るかった空がおぼろ月夜のようになった後、黒い雨が降り出した」、「灰の降った井戸水を飲んだ」、「灰の付いた野菜を食べた」、「灰を集めて肥料にした」……などなどの「被爆体験者の証言など認めず」という厚労省の一貫した姿勢です。それは、被爆地選出の権力者=岸田首相の姿勢そのものなのです。

 

2 国に屈服した長崎県長崎市

 21日をさかのぼる19日午後、原告たちは、長崎市役所の廊下でアポなし会見を行いました。大石知事と鈴木市長が面会に応じない上、判決後の国と県・市の協議内容が知らされないなどとして、県市への抗議文を発表しました。そして、原告団長の岩永さんは、「すでにたくさんの人が亡くなっています」と涙ながらに全面救済を訴えました。この時、大石知事は、「われわれもできることを全力でやっていく」と応じていました。

 9月18日、大石知事と鈴木市長は控訴を断念したい意向をオンラインで面会し、国に表明していましたが、3日後の21日に首相公邸で岸田首相および武見厚生労働相と面会し、〝控訴〝の方針を伝えられると、屈伏して受け入れてしまいました。そして、控訴期限の9月24日、原告の「被爆体験者」たちに、「控訴」したことを陳謝しながら釈明しました。

長崎市・鈴木市長:
「我々水面下で色々当たらせていただきました。それでも壁は厚かったです。」

☞第二次全国被爆体験者協議会 岩永千代子会長:
「国が固執しているのは放射性微粒子による内部被曝を認めないことだと思う。(内部被曝の被害を)遺棄しようとしているのではないかと思います。」

 岩永さんは、御用科学者らが導き出した(放射線影響研究所などの)「見解」にとらわれず、実際の証言に向き合って放射性微粒子の人体影響を検証して欲しいと訴えており、「もし被爆者と認められなくても、内部被曝を検証する道が開ければそれは勝ちだと思う」と力強く、しかし、苦渋に満ちた発言をしていました。

 

3 広島高裁判決の意味するもの

 イ 「被爆体験者」たちが希望をもった広島高裁判決

 精神疾患に限定された援護措置と、援護対象区域の人為的で機械的な線引き

の不合理に抗う「被爆体験者」たち。「黒い雨」訴訟の広島高裁判決は、長崎「被爆体験者」にとっても、転機になると思われました。「内部被曝を明らかにしてくれたと思いましたよ。雨に打たれようが打たれまいが、被爆者だと判断してくれた。だから、私たちも当然認められると思ったんです」、と岩永さんは広島高裁で「黒い雨」訴訟原告団が全面勝訴した2021年当時を振り返っていました。

 

 ロ 「内閣総理大臣談話」の持つ意味

 広島高裁判決受け入れの際に、菅元首相は、「内閣総理大臣談話」(※2021年7月27日閣議決定)を発表しています。そこでは、「今回の判決には、原子爆弾の健康影響に関する過去の裁判例と整合しない点があるなど、重大な法律上の問題点があり、政府としては本来であれば受け入れ難いものです。」と「被爆者」認定申請が広がらないように釘を刺し、今回は特別なのだと念押しをしています。そのうえで、政府は、「とりわけ、『黒い雨』や飲食物の摂取による内部被曝の健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきとした点については、これまでの被爆者援護制度の考え方と相容れないものであり、政府としては容認できるものではありません。」と、「黒い雨」のみならず「死の灰」やチリなど原爆による放射線降下物は認めない、という一貫した姿勢を崩してはいないことを強調しています。

 2021年当時は、新型コロナウイルスの感染が急拡大する中で、東京五輪パラリンピックを開催したことで、直近の世論調査のほとんどで内閣支持率が最低を記録していました。「黒い雨」訴訟で高齢化した原告をさらに苦しめる対応を取れば、世論の反発がさらに強まりかねないということで、上告断念は、秋までに行われる衆院選に向けてマイナス材料を増やすことは避けたいという当時の菅首相の判断があったとみられます。

 

 ハ 「被爆者」認定の「新基準」の反動性

 当時の菅首相は控訴を断念し、広島高裁判決を受け入れ、広島で「黒い雨」が降ったとされる地域にいた人を「被爆者」と認定する《新基準》を2022年度から運用していますが、けして原爆による被爆(特に内部被曝)を認めたわけではありません。

 広島高裁判決を受け入れた菅元首相は、原告全員に手帳を交付し、「原告と同じような事情にあった人も救済する」と表明。2022年4月から「新基準」による救済制度が始まりましたが、この制度にも問題があるのです。

 新制度は、①広島の「黒い雨」に遭い、その状況が「黒い雨」訴訟の原告と同じような事情にあったこと ②障害を伴う一定の疾病にかかっていること――を「被爆者」認定の要件としました。この新制度では、広島でも「被爆者」と認定されずに切り捨てられる人たちが多くでました。そして、「被爆者」と認定されるためには、上記①および②を、原爆の被害に遭った高齢の人たちが科学的証拠をもって自ら証明しなくてはならないのです。

 なお、「新基準」の適用は広島に限定されました。長崎「被爆体験者」は最高裁で敗訴していることに加えて、「黒い雨が降ったことを示す客観的資料がない」とされ、「新基準」の対象外となり、厚労省との協議継続となったのです。

 しかし、長崎地裁判決においては、この「新基準」を適用したものとなっているのです。

 「新基準」に基ずく制度は、放射線によって健康被害を受ける可能性が否定できなければ、被爆者と認める判断をした・広島高裁判決を〝先例〝とすることを妨げ、原爆による被害をことさら小さくしたいという政府の思惑を孕んでいるのではないでしょうか。

 

 ニ 国が無視する「内部被曝」の現実

 「被爆体験者訴訟」の原告団長を務める岩永さんは、放射性微粒子がもたらす内部被曝が無視され調査もされていないことに一貫して抗議を続けており、自分たちの体験・証言を元に原爆がもたらす被害の可能性の一つとして、「内部被曝」について調査・研究を進めることを求めてきました。

 岩永さんたち「被爆体験者」は、原爆によって生成された放射性微粒子が体内に入って「内部被曝」を引き起こした可能性を認めてほしいと訴えており、鼻血・脱毛・下痢の症状が出て、腹が膨れて死んだ人もいると自らの体験を伝えてきました。

 しかし、日本政府が長崎地裁判決に対して〝控訴〝し、改めて否定したことは、人為的・機械的に線引きした被爆地域の外まで拡散した原爆の放射性微粒子による被爆の可能性です。政府は、戦後一貫して原爆から二次的に発生した放射線の健康影響について「無視できる」という立場をとり続けています。つまり、「内部被曝」を認めない、ということです。

 原爆の「残留放射線」の人体影響については、日米共同研究機関である放射線影響研究所が、推定被曝線量などに基づき「無視できる程度に少なかった」とする「『残留放射線』に関する放影研の見解」を発表しています。ましてや、「内部被曝」のことについては、論じていません。

 これは戦後一貫した原爆の「残留放射線」に対する政府の考えでもあり、今回の政治判断(=岸田首相が「被爆体験者」たちと約束した「合理的な解決」)もこの見解に基づいたものであるといえます。

 

4 今も引き継がれるファーレル准将の声明

 日本政府は、基本的には初期放射線しか影響がないのだ、という立場です。放射性降下物による被曝と、その放射性物質を体内に取り込んだことによる「内部被曝」を認めたら、影響が膨大すぎるからでしょう。放射線量を推計して、影響が出る範囲はこれだけ、という風に数字で示して限定したいのです。それが崩れると、影響が及んだ範囲が際限なく広がってしまうからです。

 敗戦直後の1945年9月6日、来日していた「米・原子爆弾災害調査団」の一行が東京で記者会見を行い、団長のトーマス・ファーレル准将が「広島・長崎には原爆症で死ぬべきものは死んでしまったから、放射能の影響で苦しんでいるものは皆無である」と発言した時から、米国は被爆の影響を小さく見せたいという姿勢で一貫しています。要するに、「きれいな爆弾」でないと使えないからです。軍人以外の一般市民を無差別に殺傷し、生き残った人たちも放射能内部被曝の影響が生涯続く恐ろしい・非人道的な兵器だとわかれば、国際法違反となります。このことは、米国の核戦略にも影響してくる話で、独自の核開発を行っている日本も追従していると言わざるを得ません。日本の御用学者たちは、低線量被曝は問題ではない、「内部被曝」は認めない、という立場にたって、日本政府を擁護しています。

 

◎「被爆体験者」から学び、ともに闘おう!

 自分たちを「被爆者」=米国が投下した原爆の被害者、と国に認定させるということは、自らが戦争の犠牲者であり、戦争を起こした権力者たちへの〝アンチ〝の意志を表す行為である、と思います。声高に〝反戦〝を叫ばずとも、原爆の犠牲になった人たちは、自らが核兵器の非人道性を、一生涯続く被爆の苦しみを身をもって晒しているのだからです。

 昨年の広島G7サミットで、あらためて「核抑止力」が確認されてしまいましたが、原爆は、「必要悪」などではありません。国を守るためには、核兵器は〝抑止力〝として必要なのだ、といって維持されている社会そのものが変わらない限り、戦争も核兵器もなくならないとわたしは思います。

 原爆の被害者である・生き証人たちは、死を迎えるまで日々苦しみを抱えながら、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ」を、自らの身体で訴えているようにわたしには思えます。

 わたしたちは、栄光と自衛のためには核を持ち、核の傘の下に入るということの意味を立ち止まって考える必要があると思います。犠牲になるのは、労働者やその家族、未来ある若者や子どもたちです。権力を持つ者たちは、戦争による痛みも悲しみも知らないし、原爆による一生涯の苦しみも知ろうとはしません。

 

 なお、今後、「内部被曝」等についても学んだことをブログに載せていきたいと思います。

                         (2024.09.28)